焼き鮭にメモリー

 

 鮭の塩焼きをおかずに白米を食べるのが好きで、中学時代、弁当に焼き鮭が入っていると殊更にうれしかったものである。学校のヤカンで沸かした番茶がまたこれによく合った。鮭と白米をがばっと口の中に含み、すかさず熱い番茶をぐいっと流し込むと、鮭、白米、番茶による至高の三重奏が舌と身体を満たしてゆく。こんな贅沢なひるはんは他にないと思った。

 

 そんなある日、『美味しんぼ』を読んでいると、昭和のエピソードとしてアルミ製の四角く深い容器に白米がぎっちり詰め込まれたいわゆるドカベンにおかずは梅干しが乗っただけ、という質素かつ豪胆な弁当が紹介されていた。これだ! と思い「明日の弁当は弁当箱いっぱいの白米に梅干しと焼き鮭のみでお願いしたい」と母親にオーダー。いぶかられながらも了解を得た。

 

 翌日の昼休み。さあドカベンだ、と弁当箱の蓋を開けてみると、そこはやはり、育ち盛りの息子に鮭と梅干しだけのおかずはいかがなものかという母の配慮がはたらいたのだろう、だし巻き卵や唐揚げや青物野菜がところどころ添えられており、彩りとしては申し分ないのであるが、ぼくの理想とする硬派のドカベンとしては中途半端さが拭いきれないものであった。家に帰り、今度は母親に『美味しんぼ』の該当ページを提示しながら「母ちゃん一日でいいから俺はこの硬派の、本当のドカベンが食べたいんや」と頼み込み、その次の日、弁当箱容積満タンの白米に梅干しと焼き鮭のみ、というハードスタイルの弁当がついに実現されたのである。

 

 これだよこれ、とコップになみなみ注いだ番茶をスタンバイし、いただきまーす、と箸をつけようとしたその時。よほどぼくの弁当が異形のものに見えたのか周囲の女子たちが「○○くん、そのお弁当どうしたの!?」「もしかしてお母さん病気なの!?」とえらく騒ぎ出した。いやこれは私の要望でですね、美味しんぼの富井副部長がですね……などと説明するぼくの話を一切聞き入れることなく、担任まで「お母さん具合よくないのか」と言いだす始末、いやピンピンしてます大丈夫なんですと否定すればするほどどういうわけか逆効果で、すっかりうちの母ちゃんは病気で寝込んでいる設定となり、「私のおかず、分けてあげる」「これも食べて」と次々提供される色とりどりのおかずで裏返した弁当箱の蓋はいっぱいになっていた。かくして硬派なドカベン計画は頓挫し、ぼくは差し入れられた唐揚げやウインナーやブロッコリーを口に運びつつ、番茶をすするほかないのであった。

 

 帰宅し、もちろんピンピンしながらテレビを見てガハハと笑っていた母親に空の弁当箱を返しながら「せっかく硬派なドカベンを作ってもらったのに昨日よりおかずが増えた」という話をしたら「あらアンタけっこう女の子に人気あるやん」とニヤニヤされた。その前からもその後もまったくモテることはなかったし、うちのクラスの女子が優しかったという話なのだが、あのときは疎ましかった弁当箱の蓋に乗ったおかずのカラーを今でも時折思い出す。焼き鮭を食べるたび思い出す。