夢と魔法と現実と

 

 待ちに待った中学の修学旅行、目的地は花の都・大東京。ぼくたち生徒のテンションの上がりっぷりやものすごく、行きのバス車内は狂乱の騒ぎであった。

 

 初日の東京ドーム見学でいきなり現地ガイドさんから「こんなにまとまりのない学校は初めてですよ!」と標準語でめちゃくちゃに怒られ教頭以下引率教諭陣の面目を丸つぶしにするなど問題行動の多いザ・田舎の中学御一行様たる我々であったがそれもそのはず、みな翌日のディズニーランドが楽しみすぎて心が浮き立っていたのである。

 

 そこに行けばどんな夢も叶うと言うよ。誰もみな行きたがるが遥かな世界。夢と魔法の王国、東京ディズニーランド。二日目の日程は丸々ディズニーランド周遊に充てられていた。明日は夢と魔法にまみれ、思う存分に遊びたおすのだ。窓から両国国技館が見えるホテルでガイドブック片手に明日のアトラクション攻略順など綿密に打ち合わせ、深夜まで興奮気味に暴れまわったあと、眠りについた。

 

 翌朝。胸いっぱいに期待をふくらませTokyo Disneylandのゲートをくぐった一行の目に飛び込んできたのはしかし、どんよりした灰色の幕で全体が覆われたシンデレラ城の姿であった。1992年5月当時、シンデレラ城はなんたることか「改修工事中」だったのである。

 

 夢と魔法のシンボルが灰色の現実にすっぽり覆われている状況を前に力なく立ち尽くす我々。この上もし「工事中につきご迷惑をおかけしています」の立て看板や「(株)大林組」など現実きわまりない文字列に遭遇したら、いったいどういう気持ちでそれを見つめればいいのか。というか改修くらい魔法でなんとかせえや。

 

 そんなわけで本来ならシンデレラ城をバックにするはずの記念写真も、ぼくらの代だけ変な広場みたいなところでの撮影となり「……これディズニーランドのどこ?」という有り様。ピザを食べ、魔法のステッキを買い、アトラクションに並び、必死にワンダーランドへと逃れようとするぼくらではあったが、あいにくパークのどこにいても否応なしに視界に入ってくる灰色の現実が影のように追いすがる。出木杉くんが言っていたとおり、魔法世界は科学文明の前に敗北していた。ビッグサンダーマウンテン90分待ちにくたびれ果てた身体をバスの座席に沈め、一行はほうほうの体で東京ディズニーランドをあとにしたのであった。

 

 あの日見た灰色の現実を胸に、ぼくたちは高校受験という人生最初の試練に立ち向かって行った。そしてぼくはこの時を最後に、以来28年間一度も東京ディズニーランドを訪れることなく今に至る。チンカラホイ。

 

ミルクボーイの漫才風に宮地眞理子

 

▽いきなりなんですけど

 

■うん

 

▽うちのオカンがね

 

■うんうん

 

▽好きなミステリーハンターがいるらしいんやけど

 

■そうなんや

 

▽その名前を忘れたらしくてね

 

■好きなミステリーハンターの名前忘れてもて

 

▽そやねん

 

■どうなってんねんそれ

 

▽色々聞くんやけど 全然分からへんねんな

 

■分からへんの

 

▽うん

 

■ほな俺がね そのオカンの好きなミステリーハンター いっしょに考えてあげるから どういう特徴を言うてたか教えてみてよー

 

▽よく秘境に行かされてて

 

■うん

 

▽身体を張ったロケが評判で

 

■うん

 

▽笑顔が最高に可愛い人らしいねんな

 

■ほー

 

■宮地眞理子やないかい

 

▽ああー

 

■その特徴はもう完全に宮地眞理子や

 

▽宮地眞理子な

 

■すぐ分かったわ

 

▽んんー

 

■違うの?

 

▽ちょっと分からへんねんな

 

■なにが分からへんのよ

 

▽いや俺も宮地眞理子やと思ってんけどな

 

■そうでしょ?

 

▽オカンが言うには

 

■おお

 

▽とにかくバラエティに引っ張りだこで その人をテレビで見ない日はないって言うねん

 

■ああー

 

■ほな宮地眞理子と違うかー

 

▽んー

 

■宮地眞理子が見られるのは世界ふしぎ発見と 住人十色と あと静岡放送の特番だけやからね

 

▽そやねん

 

■宮地さんがそんな毎日テレビ出とったらね ハードディスクなんぼあっても足りんのやから

 

▽そやな

 

■ファンもね そのくらいの露出が心地良いとうっすら思とんのよ

 

▽そやねんなー

 

■そしたら宮地眞理子ではないかー

 

▽んー

 

■ほなもうちょっと詳しく教えてくれる?

 

▽好きな芸能人を聞かれたとき どう説明したらええか悩むらしいねん

 

■宮地眞理子やないか

 

■宮地眞理子は説明むずかしすぎんのよ

 

▽ああー

 

■世界ふしぎ発見でミステリーハンターやってる人としか言いようがないし

 

▽そやねん

 

■その情報だけで伝わることまずないんやから

 

▽そやな

 

■スマホで写真見せてもね だいたい微妙なリアクションもらって終わりますよ

 

▽そやねんなー

 

■宮地眞理子に決まりやそれは

 

▽でも分からへんねん

 

■何が分からへんのよ

 

▽俺も宮地眞理子やと思ってんけどな

 

■そうでしょ?

 

▽オカンが言うには

 

■おお

 

▽中国ロケで北京ダックとフカヒレを堪能してたらしいねん

 

■ほな宮地眞理子ちゃうやないか

 

■宮地眞理子が中国行ってご馳走しか食べんかったらね ファンから苦情が出るんやから

 

▽そやな

 

■宮地さんが得体の知れへんものを食べれば食べるほどファンは喜ぶのよ

 

▽せやねん

 

■むちゃくちゃやねんから

 

▽そやねんな

 

■なんで宮地眞理子やのに宮地眞理子ちゃうのこれ

 

▽んー

 

■ほなもうちょっとなんか言うてなかった?

 

▽どの番組でも独身をネタにされるらしいねん

 

■宮地眞理子やないか

 

■地球の裏側まで行っても独身いじられるのよ

 

▽そやねん

 

■同じ秘境ハンターのイモトが結婚した今 もう宮地眞理子一強のジャンルやねんから

 

▽そやな

 

■早くミヤロスを感じさせてくれよ

 

▽そやねんなー

 

■宮地眞理子で決まりや

 

▽いや分からへんねん

 

■何が分からんねん

 

▽俺も宮地眞理子やと思ってんけどな

 

■そやろ

 

▽オカンが言うには

 

■おお

 

▽SNSにアップする写真がやたら匂わせらしいねん

 

■ほな宮地眞理子ちゃうやないか

 

■フェイスブックの写真まったく匂わんのよ

 

▽そやな

 

■カップルだらけの観光地でひとりドラクエウォークする猛者なんやから

 

▽そやねん

 

■いいね押していいものかどうか真剣に考えてまうやろあれ

 

▽そやねんなー

 

■宮地眞理子ちゃうがな

 

▽んー

 

■ほなもうちょっとなんか言うてなかった?

 

▽ロケでお酒が出てくると目の輝きが増すらしいねん

 

■宮地眞理子やないか

 

■酒飲んでるときめちゃくちゃ幸せそうなんやから

 

▽そやねん

 

■ビールの飲みっぷりでは他の追随を許さんのよ

 

▽そやな

 

■起用してくれよ一番搾りのCMに

 

▽そやねんなー

 

■宮地眞理子やそんなもんは

 

▽分からへんねんて

 

■なにが分からんねん

 

▽俺も宮地眞理子やと思ってんけどな

 

■そうやろ

 

▽オカンが言うには

 

■おお

 

▽その人を映画に例えると ハリウッドのエンタメ超大作らしいねん

 

■ほな宮地眞理子ちゃうやないか

 

■宮地眞理子のどこがハリウッドエンタメ超大作やねん

 

▽ああー

 

■宮地眞理子は映画に例えると めちゃくちゃ渋い単館系日本映画なんよ

 

▽そやな

 

■大ヒットはせんけど キネマ旬報の年間ベストテンには入るやつや

 

▽せやな

 

■通に評価されるタイプなんやから

 

▽そやねんなー

 

■宮地眞理子ちゃうがな

 

▽んー

 

■ほなもうちょっとなんか言うてなかった?

 

▽ミステリーハンターの中では わりとひどい目に合ってるらしいねん

 

■宮地眞理子やないか

 

■宮地眞理子はひどい目しか合ってないのよ

 

▽そやねん

 

■全身粉まみれ 鼻の中に水流す 木から出てきた虫食べる

 

▽そやな

 

■訴えたら100パー勝てるんやから

 

▽そやねんなー

 

■宮地眞理子に決まりや

 

▽でも分からへんねんな

 

■なにが分からんねん

 

▽俺も宮地眞理子やと思ってんけどな

 

■そうやろ

 

▽オカンが言うには

 

■おお

 

▽一般的にマリコと言えばその人らしいねん

 

■ほな宮地眞理子ちゃうやないか

 

■宮地さんそんなマリコ界の頂点に君臨してないから

 

▽そやねん

 

■世間でマリコと言えばね まず篠田麻里子

 

▽そやな

 

■加賀まりこ

 

▽せやな

 

■石原真理子 國府田マリ子 森田まりこ 榊マリコ

 

▽うん

 

■で宮地眞理子や

 

▽ああー

 

■この順番やねんから

 

▽そうかー

 

■間違えたらあかんよ

 

▽そやねんなー

 

■宮地眞理子ちゃうがな

 

▽んー

 

■ほなもうちょっとなんか言うてなかった?

 

▽ときどきミヤジかミヤチか分からんくなるらしいねん

 

■宮地眞理子やないか

 

■ついミヤジて読むけど ミヤチマリコやねんから

 

▽そやねん

 

■番組でミヤジさんて言われてたりするとね ファンはちょっとイラッとすんのよ

 

▽そやな

 

■ほんで眞の字もなにげに難しいから ファンレター書くときちょっと間違えてまうねん

 

▽そやねんなー

 

■宮地眞理子で決まりや

 

▽けど分からへんねん

 

■いや分からへんことない オカンの好きなミステリーハンターは宮地眞理子やもう

 

▽でもオカンが言うには

 

■おお

 

▽宮地眞理子ではないって

 

■ほな宮地眞理子ちゃうやないか オカンが宮地眞理子ではないと言うんやから

 

▽そやねん

 

■宮地眞理子ちゃうがな

 

▽うん

 

■先言えよ

 

▽そやな

 

■俺がマリコの順番言うてるときどう思ててんお前

 

▽申し訳ない

 

■ほんまに分からへんがな どうなってんねんこれ

 

▽んでオトンが言うには

 

■オトン

 

▽板東英二ちゃうかって

 

■絶対ちゃうやろもうええわー

 

▽■どうも ありがとうございましたー

 

 

地球のふしぎを歩こう (PHP文庫)

地球のふしぎを歩こう (PHP文庫)

  • 作者:宮地 眞理子
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2016/01/04
  • メディア: 文庫
 

 

 

箸の持ち方を直したい

 

 トイレをギリギリまで我慢する。天気予報が雨なのに傘を持とうとしない。真冬でも薄着。箸の持ち方がおかしい。昭和のバカ小学生かと思うが、ことし43になろうとしている自分のことなので、いよいよまずいと思えてきた。

 

 とくに箸の持ち方は毎年正月に「今年こそ直そう」と決意するものの、おせちがうまいなどの理由により毎年三が日のうちに断念、「また来年がんばればいいや」と一気に362日先送りしてしまい一年の計もへったくれもあったものではない。

 

 お箸をちゃんと持とう。大人になろう。そう決意させた理由のひとつは自分と同じく箸の持ち方がおかしかったはずの弟がいつの間にか綺麗に矯正していたことにあった。兄上もその気になればこれしき容易きことにござるぞと正しい箸の持ち方でスイスイと黒豆や蒲鉾や鯑をつまんでは鮮やかに皿に運んでいくその姿に兄の焦燥はつのるばかり。このままでは沽券に関わる。今年は、今年こそは箸の持ち方を直そう。

 

 去年の正月に撮った画像で見ると、現在、ぼくの箸の持ち方はこのようになっている。


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 まず親指の構え方がおかしい。これでどのように箸を動作させるかというと、正しい使い方とは反対に上の箸を固定し、親指の付け根を使って下の箸を動かすのである。ちゃんとした持ち方ができている人にはやりにくくてしょうがないと思うが、ぼくの場合これで大抵のものが掴めてしまうのがよくない。

 

 「お箸 持ち方」で検索したサイトを参考に、正しい持ち方を実践してみる。

 

お箸の正しい持ち方 - 箸のはしばし

 

 上の箸を鉛筆と同じように持って動かし、下の箸は固定する。やってみると、やはり42年使っていなかった筋肉を使っているのだろう、めちゃくちゃに難しく、思うように先端でものが掴めない。ふつうの人が幼稚園くらいでクリアしているステージを四十過ぎてやり直しているのだから無理もない。今日もこの持ち方できつねうどんに挑んでみたら、右手が腱鞘炎になるかと思うほどビリビリに疲れてしまった(油揚げがあんなに重いものだったとは……)。

 

 しかし、いくつになっても新しいことにチャレンジするのは心がワクワクするものだ。慣れない箸使いで悪戦苦闘しながら必死に王将で餃子を食べているオッサンを見かけても、どうか笑わず心の中でエールを送っていただきたい。2月中には矯正完了する!

 

「ターミネーター」と書かれたそのエロビデオ

 

アダルト動画サイトなどもちろん存在していなかった平成初めのころ、リビドーをもてあます男子中学生だった我々はエロ本にも成年コミックにも飽きたらず、とにかく「動くエロ」が見たくて見たくてしょうがなかった。男子中学生とはそういうものである。

 

アダルトビデオの入手はあまりにハードルが高く、ある者は友人の兄貴からダビングしたブツの確保に成功し、ある者は親の目を盗みつつ当時まだおおらかだった深夜のエロ番組録画に文字どおり精を出し、またある者は「アニメなら大丈夫だろう」とレンタルビデオ店で堂々と『妖獣教室』をレジに持ってって「これ子供には貸せないんですけど」と追い返されたり、皆それぞれに研鑽努力を重ね映像のエロコンテンツにアクセスしていたのだ。

 

エロなビデオテープは、その保管場所が最大の問題となる。学習机の引き出し下にある僅かなスペースにラベルのないVHSのビデオテープがこっそり置かれてあろうものなら、見るまでもなく中身はおセックス満載の不健全ビデオに決まっている。そして学校から帰ってきてふと見るとそのビデオテープが机の上に置かれてあったりして背筋の凍る思いをするのだ。なぜに世の母親は息子のエロメディアを発見すると押収するのでなく机に置いて去るのであろうか。

 

なので、エロビデオ一本だけを自室に隠すのはどこにどう隠したとしてもリスクが高い。となれば、木を隠すなら森、怪しまれない適当なタイトルを貼って他のビデオテープとともにラックに並べておくのが実はいちばん安全なのである。

 

友人の松下(仮名)などは、この方法で堂々と自宅リビングにエロビデオを保管していると宣言し我々を驚かせた。自分の部屋ならまだしも、さすがにそれはいつ親に見られるか不安じゃない……? と聞くぼくに松下は平然と言った、「ターミネーターって書いてあるから大丈夫」。一同爆笑してしまった。エロビデオのカムフラージュに雑な手書きで書かれたターミネーターという文字列のおかしさ、別に『トップガン』でも『ランボー』でも面白いのだが『ターミネーター』という、テレビでやってたらなんとなく見てしまうけどわざわざ棚から取り出して見ようという気になるのは5年に1回あるかなしの絶妙なタイトルチョイス。これが『ターミネーター2』だとそこまで面白くなかった気がする。

 

そもそも『ターミネーター』本編後半にはストーリー上カットすることができない、わりと濃いめなベッドシーンがあり、あれを家族と見てしまった時のなんとも言えない気まずさを知る者であればわざわざお茶の間でこの作品を再生しようとは思わないだろう。そこまで計算してかどうか定かではないが、T-1000が人間に擬態したように、松下はエロビデオを映画ターミネーターに擬態させることで、スカイネットも仰天の内容を誰にも知られることなく守りきったのである。

 

最近になって松下から聞いたところによると、件のビデオにはテレビ放送で録画した『ターミネーター』が一応ちゃんと入っていたらしい、3倍録画で。そのあと約4時間の空き容量に深夜放送で録りためたウッフン番組が詰まっていたそうである。ご承知のように、この映画のラストシーンは「嵐がやってくる」と告げる少年のセリフに未来戦争が暗示されて終わる。もし松下のターミネーターを彼以外の家族が気まぐれに視聴し、エンドロール後も停止ボタンが押されることなくそのまま再生され続けた場合、突然流れ始めるお色気バラエティおとなのえほん「性感ラビリンス」「あの娘とぽんぽこりん」「興奮AV最前線」といった、本当にとんでもない嵐がやってきたわけで、機械との戦争よりも恐ろしい審判の日が松下に待ち受けていたことだろう。回避されてよかった。映画館で『ターミネーター:ニュー・フェイト』を観ながら、ぼくはそんなことを考えていたのである。

 

朝比奈隆が最後に遺したブラームス

 

今年は久しぶりに朝比奈隆のCDをあれこれ聴きなおした。その中で「いいなこれ」と思ったものが、ひとつは大阪フィルとスタジオ録音したブルックナーの交響曲第3番。もうひとつは最後のブラームス・ツィクルスとなった新日本フィルとのブラームス交響曲全集である。このブラームスの、とくに第1番がめちゃくちゃにいいので、それを書き記しておきたいと思う。

 

交響曲全集 朝比奈&新日本フィル(3CD) : ブラームス(1833-1897) | HMV&BOOKS online - FOCD-9206


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2000年9月~2001年3月、いずれもサントリーホールでのライヴ録音。

 

以前も「朝比奈隆はベートーヴェンよりもブルックナーよりも、ブラームスがいい」ということを書いたのだが、これは本当によくって、なにしろ聴いてるこっちが「これが本当に朝比奈の指揮? しかも最晩年の!?」とびびってしまうほどに良いのである。

 

この第1番の録音には、あそこがいい、ここの部分がいい、というのがない。最初から最後までずっといい。テンポ、楽器間のバランス、フレージング、あらゆるすべてが過不足なく「こう鳴ってほしいな」とこちらが思うそのままに鳴ってくれる。

 

ひとつ挙げてみるなら終楽章の最後、コラール主題がファンファーレで帰ってくるあの感動的な部分。あそこは力みすぎるとわざとらしくなっていけないし、かといって素っ気なくもできない、難しい箇所である。朝比奈はここを実にしなやかに聴かせる。まさに名人上手の至芸、ブラームスを自家薬籠中のものにした堂々たる大家の棒だ。

 

そんなわけで、ぼくは冗談抜きにブラームスの交響曲第1番はこのCDさえあればいいとすら思ってしまった。このとき朝比奈92歳、指揮もかなり不明瞭になっていた時期で、オーケストラの自発性が老匠をフォローしていたところも大きかっただろうと思う。それにしても演奏から聴こえてくる若々しい情熱はどうだろう。92歳のジジイにこんな音楽を奏でられては、あの独特のしわがれ声で「君なんかまだ若いんだから、四十やそこらでしょんぼりしてる場合じゃないだろう」と背中を叩かれているような気がしてくるじゃないか。

 

ぼくは朝比奈の存命中、ベートーヴェンとブルックナーは生で聴いたけれどブラームスには行かなかった。当時はまだガキンチョでブラームスの良さがよく分からんかったのだ。だが今は分かる。オッサンになるとブラームスが書いた音符のひとつひとつが、「これは俺か」と言いたくなるほど心をふるわせる。胸にしみてくる。朝比奈の言葉を借りれば「年をとった男には、そういう情緒が非常に大切で、心の中の宝のようになってくる」である。

 

正直なところ、ぼくは朝比奈のブルックナーのライヴ録音はあまり高く買っていない。でもこのブラームスはジジイになるまでずっと聴き続けると思う。朝比奈と同じ92歳となったとき、この録音をかけながら「とうとう同い年になっちまいましたな先生、ところでやっぱりブラームスはいいですね」と言いたいので、なんとかそれまで長生きしなければと考える2019の年の瀬であった。

 

 

久しぶりに見たホーム・アローンが面白かった話

年末になると『ホーム・アローン』が放送されて、去年も「平成も終わるというのにホーム・アローンて」と思いながら見てたら、子供のときとは違う視点ですごく面白かったんですよ。

 

自分が大人になったから登場人物の親たちの気持ちになって見られた……というのとは少し違って、むかし見た記憶だとこの映画はなんといっても泥棒退治がメインディッシュであり、その他の場面の印象は薄かったんですけど、改めて見直すと一連の泥棒撃退シーンは最後のデザートくらいの添え方で、それ以上に母親と息子の心情描写にしっかりと尺をとっていたことに気づかされました。

 

映画の序盤、主人公ケビンの周りにいる大人たちは揃いも揃ってろくでもない態度の連中ばかりで、無関心な父親に無神経な親戚たち、そして本当はケビンを深く愛しながらけんもほろろな接し方で結果的に息子を置き去りにしてしまう母親。これらろくでもないオンパレードの面々が見せる振る舞いの数々に、映画を見ている我々はフツフツと怒りを蓄積していくわけですが、クリス・コロンバス監督はその観客全員の抱く怒りが父親でも親戚でもなく、あの母親に集中して向かうよう絶妙に映画をコントロールしてるんですよ。

 

だからこそ、飛び立ってしまった飛行機の中で母親が「ケビン!」と叫ぶ瞬間、我々は「やっと気づいたかこのバーカ!」とそれまでの鬱憤を晴らすことができるようになっている。淀川さんじゃなくても「あんた、うまいなぁ~!」と監督に拍手したくなります。

 

怖い人だと思ってたら実は心のあたたかい隣人との交流もシリーズの定番で、最後におじいさんが娘と抱き合う場面など、自分ももうトシなので涙腺が決壊してしまいました。

 

色々なドタバタがあって最後はハッピーエンド、ほんとにいい映画だと思います。ぼくに子供はいませんが、クリスマスに親子で見ると子供はワクワクし、親はホロリで最高に素敵じゃないですかね。『ダイ・ハード』はもう年齢的にしんどくなってきました。面白いけど。

 

で、きのう初めて見た『3』も面白かったです。子役が交代して、泥棒たちも薄汚い風采だった前2作からそれこそ『ダイ・ハード』に出てくるようなスタイリッシュ犯罪者集団になりました。もちろんスタイリッシュなのは最初だけで、終盤は気持ちがいいくらい次から次へと主人公が仕掛けた罠にかかってコントのようなひどい目に合い、最後は水疱瘡までもらうという愛すべきまぬけっぷり。小悪党はいても極悪人はいない。犬もハムスターもインコも可愛い。世界がもっとこういう優しさに満ちていたらいいなと思わせてくれました。ちょっと早いけどメリークリスマス。

秋本治先生が本当にすごいところ

 

10歳のときに初めて友人宅で『こち亀』を読んでから思春期に至るまで、この漫画はぼくのバイブルのようなものだった。

 

両さんに憧れ、下町に憧れ、趣味を真似、自転車の乗り方を真似(いま思うと相当危ないことをしていた)、なにをするにも『こち亀』が基準にあったように思う。

 

この作品はおよそ100巻を境にそれ以前・以後として語られることが多い。実のところ、ぼくが熱心な読者であったのも100巻までであった。もちろん100巻から先も、読むのを止めたわけではなかったが、かつての重厚な線が失われた、どんどん細く平坦になっていく絵柄への抵抗に加えて、両さんが寿司職人になる展開にも正直ついていけず、ぼくのこち亀への関心は急速に薄れていった。古参あるある、である。

 

いまコミックスを読み返しても、とくに50巻~70巻台のパワーは凄まじい。連載10年目を超えてなお、まったく衰えを知らない作者と両さんのバイタリティが迫力ある筆致となって溢れてくるのが画面からビシビシ伝わってくる。よく毎週毎週こんな面白い漫画が描けたものだ。

 

しかし疾走する重戦車のごときその作風のまま200巻まで継続することは不可能であったろう。また、連載当初から40巻台までにおいてもその都度、作風は絶えず変化を続けている。初期のファンからすれば、両さんの超人化が著しかった50~70巻の展開にこそ、ついていけなかった人もいたかもしれない。

 

作者・秋本治先生のすごさは、変化を恐れず、変化を続けられた(今も続けられる)ことにある。第100巻のサブタイトルは『インターネットで逢いましょう』。1996年当時、まだまだ一般には馴染みの薄かったインターネットにも素早く適応し、インターネットとは何か、読者にこの上なく分かりやすい解説を行っているのだ。

 

人間、中年にさしかかると新しいもの・自分が慣れていないものを摂取することが段々と億劫になってくるものである。秋本先生にはそういったところが微塵も感じられない。最近のインタビューでは「VTuberが大好き」と語っている。もとから多趣味の御仁とはいえ、66歳にしておそるべき好奇心の塊だと驚くしかない。

 

この秋本先生と両さんのスタイルは、非常に大切なことを教え示してくれている。変化を嫌わず、常に最新を求めよと。アンテナを張り、アップデートを怠るなと。若く多感なころに摂取した多くの作品、その懐かしさと心地よさの沼にずぶすぶ沈んでゆくだけの老人になってはいけないと。

 

もしもこち亀が100巻で終わっていたら。それはそれでニュースになっただろうし、引き際の良さを讃える声もあったことだろう。連載後半期において、ときに昔の読者から発せられる「100巻で終わるべきだった」「止め時を見失った」などのバッシングに晒されながら、それでも秋本先生と両さんは過去のスタイルにとらわれることなく、絶え間なく自身を更新し、変わり続けながら40年を駆け抜けた。まことに敬服すべき仕事であり、自分もかくありたいものだと思う。いや、それが難しいんですけどね……。

 

なんか真面目なことを書いてしまいましたが、こち亀はとことんギャグ漫画だし、その面白さについて他に書きたいこともあります。本日については「やっぱりこち亀は大人になってもバイブルでした」ということで。

 

鼻歌特定アプリがGoogleよりすごかった話

ずいぶん前から、ある歌のサビのメロディが不意に頭の中で流れてくることがあり、しかし誰の何という曲なのかがさっぱり分からないのであった。分かるのは

・女性が歌っている

・アレンジの感じからしてたぶん80年代

ということくらいで、あとはAメロBメロもさっぱり思い出せない。せめて歌詞の断片がワンフレーズでも分かればすぐ検索できるのに歌詞だけはなぜかホニャララした感じで漠然としか思い出せず、なんとなく見当をつけて検索してみてもどういうわけかヒットするのは三代目J Soul BrothersとHey!Say!JUMPの歌ばかり、完全に途方にくれていたのである。

あるていど有名な曲なのは間違いなさそうで、家の者たちにサビを歌って聴かせても「聞いたことはあるがタイトルは分からない」と言うし、先日も問屋街で豆菓子の徳用袋798円を選んでいたら店内BGMでこの曲のインストが流れてきたため慌ててオッケーグーグルを天井のスピーカーに向けたものの、結果は「曲を特定できませんでした」であった。どうもGoogle先生は「メロディだけ」とか「鼻歌」に関してはまるっきり不得意なようで、今までも幾度となく恥ずかしさをこらえながら「OKGoogle、これなんて曲?」と歌ってみたのだが何十回やっても「曲を特定できませんでした」しか返ってこず、CMでやってるみたいな調子に全然いかない。ぼくの歌が下手という点を差し引いても、むかし家電で流行ったファジー機能が足りてない。

もはや五線紙にサビのメロディを書き「この曲わかる人いますか」とYahoo知恵袋に投稿するしか道はないのか…と思いつめていたところ、ふと、鼻歌を検索してくれるアプリとかあるのでは? と思った。しかし天下のGoogle先生ができない鼻歌からの楽曲特定が、そこいらのアプリにできるものだろうか。いぶかりながらも「鼻歌」で検索して出てきたアプリをインストールし、サビをふんふんと歌ってみたところ、なんと5秒で特定してくれた。

その歌はシャーリーンというアメリカ人女性歌手の"I've Never Been to Me"(邦題「愛はかげろうのように」)であった。ところが、ぼくの記憶だと歌詞はおぼろげながらも日本語なのである。そこで「愛はかげろうのように カバー」で調べてみて、ついに椎名恵さんという方の歌う『LOVE IS ALL ~愛を聴かせて~』にたどり着いた。タイトルが元の邦題からまったく変わっており、そりゃ手がかりなしで探すのに難儀するはずだと思いながらも、ぼくの頭の中で繰り返し流れていたのは間違いなく椎名恵さんのこのバージョンである。いい歌だ。こうして長年の謎は一瞬にして解消された。ありがとう鼻歌特定アプリ。

ところで、ぼくは椎名恵なる歌手を知らなかったし、いちど聴いたら忘れられない印象的なメロディであるとはいえ、こんなに記憶に焼きつくほど一体どこでこの曲を聴いたのか、今度はそっちが思い出せない。『LOVE IS ALL ~愛を聴かせて~』は1986年のTBSドラマ『おんな風林火山』の主題歌だったようなのだが、当時9歳でコロコロコミックとファミコンにしか興味のなかったぼくがそんなドラマを見ていたはずもなく、さらにこのドラマが視聴率の低迷と制作費の高騰で打ち切りになったという余計な情報も得てしまい、ぼくは静かに眠りについたのである。

『タケシとタツヤとマリコとライト』を観てきた話

 

注意!

この記事は激しくネタバレを含みます。

作・福田卓郎、タケシとタツヤとマリコとライト『フランクロイドは電気羊の夢を見ない?』は、今後も再演される可能性が高いです。

まだ舞台をご覧になっていない方は、ここから先の記事をお読みにならないよう、お願いします。

この作品は絶対にネタバレなしで観賞してください。

ここからネタバレあり

 

 

前回は長くなりすぎたので、今回はシンプルに行くぞ!

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〜巨匠の建築で三人芝居〜
タケシとタツヤとマリコとライト
『フランクロイドは電気羊の夢を見ない?』
作:福田卓郎

出演:前田剛 牧野達哉 宮地眞理子

場所:自由学園明日館 ラウンジホール

 

 

いやーおもしろかったですね!!

 

受付でチケットを受け取り、案内されるままホールの扉をくぐると、いきなり黒服のマエタケさんが話しかけてくるという超展開。

 

え、マエタケさん、キャストですよね?? いっしゅん他人のそら似かと思いましたけど、どう見てもマエタケさんっすよね???

 

もう何が起こっているのか分かりません。これ初見のマエタケさんファンはかなりびびると思います。ぼくも入ってすぐ宮地さんが客席案内係やってたらびびります。

 

初日は10杯が即完売したから今日は40杯ぶん増量したというコーヒー推しの強さ含め、すでに何かが始まっている予感が客席全体を覆う中、タケシさんによる前説(?)が始まった。

 

「本日、我々の説明は65分程度を予定しています」(「上演時間」ではなく「我々の説明」って何……?)

 

「携帯やスマートフォンは音を切ってください。『どなたですか!』とならないように、お願いします」(これも伏線でした)。

 

客席を見渡し、手に持った名簿をチェックしたタケシさんが「まだ何人か来られていない方がいらっしゃいますので……」と、言ってるそばから作業着姿のタツヤさんが登場して、「やられた!!」と思いましたよ。

 

ぼくたちが入口でチケットを受け取りホールに足を踏み入れたあの時、すでに舞台は開演していた!

 

タケシさんは客席案内係の役割を果たしながら、すでに「ブローカーのカキザキ」として我々を物語世界へと引きずり込んでいた!

 

つまり開場時間と開演時間に境目がなく、シームレスに日常から非日常へ連れて行かれる恐ろしい仕掛けだったのだ!!

 

まだ開演前だから……と油断していたお客は、いつの間にか自分たちがこの戯曲の世界で登場人物のひとりとして存在してしまっていることに気付かされ、慄然とする。この心地よい騙され感!

 

境目がないのは開演時間だけじゃない。ここにはもはや舞台と客席の区別もない。なぜならぼくらもこの裏口入g……もといファストパス斡旋会の参加者なのだから。演者(我々も含む)は、ホールの空間すべてを舞台として使う。後方暖炉前スペースも、窓の向こう側の外通路でさえも。

 

入場の際に手渡されたアンケート用紙も、終演後によく見ると、意味が分かってくる


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アンケートではなく「申請用紙」。「今日この日が素敵になりますよう」とか「お話をお聞きになってお思いになったことを」とか、妙に持って回ったこの言い方、ああ、そうかこれ、限定10名のファストパス申請用紙になってるのか! 凝ってる!

 

そしてマリコさん。タツヤさんの頭をバンバンにはたいてました。髪をバッとほどいて身分を明かすところ、カッコよかったですね。

 

マリコさんは言います。「ライトがどんな思いでここを設計したと思うの?」。その瞬間、ホール全体が祈りのような沈黙に満ちました。確かにお芝居はフィクションかもしれません。しかしタケシが語ったライトの壮絶なエピソードは史実であり、今我々がいるこの建築空間は正真正銘、ライトの手によるものです。この戯曲がここでしか上演できない理由、その極めつけが、マリコさんのこのセリフにありました。

 

ちなみにマリコさんが手錠を取り出すシーン、上着のポケットにはなくて、結局カバンの中から出してきたため「後ろ向いて」を2回やってましたけど、あれは台本通りなのかアドリブだったのか、判然としませんでした。なんかタケシとタツヤのリアクションが素ぽかったので……。

 

そのあと唐突に「レイチェルです♪」と名乗るマリコさん。タツヤさんが「なんだよレイチェルって」とつっこむのを聞きながら、ぼくも「なんだよレイチェルって」と思ってたら、『電気羊』の原作小説に登場する女性型アンドロイドの名前なんすね。お前は人間かそれともアンドロイドか? ブローカーか詐欺師かそれとも警官か? 全員が身分を偽って正体の探りあいをするこのお話の本筋が、符号として「レイチェルです♪」のセリフに込められていたのでしょうか。

 

最後、タケシもタツヤもマリコも外へ出て行って物語は幕を閉じますが、そのあと三人がホールへ戻ってくるまでの間、完全にほったからしになるのも面白かったです。まさにあの時こそ我々お客の演技が試されていたような気がします。

 

ライトの建築と空間を活かした、ここでしかできない舞台、想像以上の体験でした。ぼくらもそれぞれに自分の役を楽しく演じさせてもらいました。

 

関わったキャスト・スタッフの皆様に感謝を。お見事!

 

宇野功芳先生ありがとう、いつも楽しい評論を書いてくれて…

 

 2016年が過ぎ去ろうとしている。ブーレーズアーノンクールなどクラシック音楽界にも大家の訃報があったが、ぼくにとってはやはり宇野功芳さんの逝去がいちばん衝撃だった。

 

■チャーミングなおっさん

 みなさんは、ブルックナーのスコアにおいてメゾ・ピアノ(mp)の指定がまったくと言っていいほど使われていない、その理由を御存知であろうか。

 ぼくは知っている。なぜなら宇野功芳が教えてくれたから。ブルックナーの初恋の相手はマリア・プフィッツナーという女の子だった。しかし熱烈な片思いはほどなくして爆砕、失恋の痛手を負ったブルックナーはそれ以降、彼女のイニシャルであるm・pを書けなくなったのだ―――。衝撃的な逸話だが、衝撃的なのは当たり前で、これはもちろん宇野さんの作り話である。あろうことか、宇野さんはこの与太話を『レコード芸術』誌の交響曲新譜月評欄でわざわざ書いていた。クラシック音楽評論家という一般には堅苦しい職業のイメージとはかけ離れた、なんというふざけたおっさんであろうか。

 

■「メータのブルックナー

 宇野功芳といえばメータのブルックナー。メータのブルックナー抜きにして宇野功芳は語れない。

 「メータのブルックナーなど聴きに行くほうが悪い」。有名なこの文言は宇野さんの代表的著書である講談社現代新書『クラシックの名曲・名盤』に書かれたもので、本書は氏のライフワークとしてその後も増補改訂がくりかえされ、現在売られている最新版にも「メータのブルックナー」の一節はもちろん語句を変えることなくそのまま記載されている。だって、これがなければ、この本がこの本でなくなってしまうようなものなのだから。

 冷静に考えてみると、「メータのブルックナー」にせよ「小澤のエロイカはまるでスーパードライ」にせよ、いったい皆、何十年前の文章をいまだに引っぱり出して遊んでいるのか。小澤スーパードライの件だって、ぼくはリアルタイムにレコ芸で読んだ記憶があるけれども、それだってもう20年以上前の話だぜ。いち音楽評論家の発言がこれだけ人口に膾炙した例としては、これ以外だと吉田秀和ホロヴィッツ評「ひびわれた骨董品」くらいなものではなかろうか。

 宇野功芳『クラシックの名曲・名盤』以前にも、クラシック音楽を初心者に分かりやすく解説しようというやさしい入門書の類いはあった。けれども、誰も宇野功芳のようなやり方でクラシック音楽を紹介することはできなかった。当時、宇野功芳ほどクラシックをポップに語れる評論家がいなかったのだ。

 これからクラシック音楽を聴きはじめようという人に、作曲家の生い立ちとか、ソナタ形式や調性がどうとか、そんな知識は必要ではなく、ただ最高の曲と最高の演奏はこれだと提示し、そのすごさについて語ればよかった。

 宇野功芳は、誰よりも的確にそれができた。というより、おそらくこれ以外のやり方を知らず、氏にとって唯一だったこの方法は宇野節と呼ばれるようになり、書籍は売れて版を重ね、その言葉はクラシック音楽ファンに浸透していく。

 ここで危険なのは、実際ぼくにもそういう時期があったが、宇野さんの評論を読んでいるうち、いつしか自分も宇野さんと同じ鑑賞眼を手に入れたような錯覚に陥ってしまうことにある。宇野さんがカラヤンについて述べた言葉「カラヤンの演奏でクラシック音楽に入門するのは良いが、初歩の段階を過ぎたら、他の指揮者に移っていかなければならない」は、そのまま宇野功芳の評論にもあてはまる。宇野さんの推薦盤を聴いて「ちょっと違うくね?」と感じた瞬間こそが、まさに初心者を脱する瞬間といえるのだ。

 

■君がいなくちゃケンカできない

 アンチ・カラヤンの急先鋒と思われがちだった宇野さんであるが、そこは是々非々で、良いと感じた演奏については意外にキチンとほめていて、カラヤン指揮によるベートーヴェンの『三重協奏曲』など、言葉を尽くして絶賛している。交響曲については最後まで点が辛かったが、そんな宇野さんのカラヤン批判も、帝王没後はしだいにトーン・ダウンし、近年ではカラヤン特集のムック本に寄稿するまでになっていた(以前なら考えられない)。その中で「カラヤンが亡くなってから、クラシック音楽界は火が消えたようになってしまった」「カラヤンには功罪あったが今となっては功のほうが大きかった気がする」と、さみしさすら漂わせている(以前なら考えられない!)。俺ぁよぉ御前さんが大嫌いだったけどよぉ、御前さんがいなくなってから、なんだかちっとも酒がうまくねぇんだよ、ちきしょうめ、って人情話みたいな有様ではある。

 

■キャラクター化した演奏家たち

 もうひとつ、宇野功芳の功罪は、演奏家それぞれの個性や特色を、まるで漫画の登場人物のようにキャラクター付けしたことにある。カラヤンは外面だけ豪華で無内容。フルトヴェングラーは精神性。トスカニーニはイン・テンポで楽譜に忠実。メンゲルベルクはロマンティック。朝比奈隆は不器用で愚直。小澤征爾は軽薄。バックハウスは無骨で深い。ハイドシェックは天衣無縫。ポリーニはうまいが浅薄。シゲティは下手だが深遠。などなど、実際には演奏家の音楽観というのはこんな単純化できるものではないとはいえ、これがとてつもなく効果的だったのだ。なにしろ宇野さんの著作にかぶれていた頃のぼくは、トスカニーニメンゲルベルクの音源など一枚も所有していなかったにもかかわらず、彼らの演奏の性格がどういうものなのか、はっきり知っていたのだから。

 個人的に、評論家・宇野功芳の最高の仕事として、バイロイトの第九のライナーを挙げたい。お手元にある方はぜひ一度読み返していただきたいが、最初から最後までこれぞ宇野功芳、これぞ宇野節と言いたくなる文章がぎっしりつまっており、もうよだれが落ちそうになる。ぼくなど何百回読んだか数えきれず、もはや演奏よりもこのライナーを愛しているほどで、まこと、批評が対象を超越した稀有な例といえよう。これを超えるライナーは今後もけっして現れまい(あ、もういいですか)。

 

 ■『指環』はいいぞ

 迷演・珍演・怪演揃いの宇野功芳指揮・新星日響によるオーケストラ・リサイタルの中でも、ワーグナーの『ニーベルングの指環』ハイライトは、ガチで良い。ちなみに、正直に申し上げてベートーヴェン交響曲シリーズはキツい。一聴おもしろくはあっても、繰り返しの鑑賞に耐えうるシロモノとはとても言えないが、『指環』は迫真の出来栄えで、この作曲家の豊潤な音のスペクタクルを堪能できる。「ブリュンヒルデの自己犠牲」掉尾を飾る愛の救済の動機まで、本当に心のこもった演奏で、最終和音におけるティンパニの、まさにいのちのかかった最強打(!)も必聴だ。

 

■さいごに

 宇野さんとは、昨年の夏いずみホールでの「第九」演奏会終了後にお話させていただき、握手してもらったのが最後となった。実はその前にも一度、ぼくが高校生のとき、シンフォニーホールで朝比奈隆ブルックナー9番を聴いた帰り道、大阪環状線の車中でばったり宇野さんに出くわして、おそるおそる声をかけたことがあった。ところが、あまりに舞い上がっていたぼくはサインはおろか握手すらお願いするのを忘れ、そのまま宇野さんは次の駅で降りて行ってしまわれた。さすがにその時のことなど覚えてはおられなかったが、「では20年越しの握手をしましょう」と手を差し出してくださった。ぼくは、自分の青春のひとつの不協和音が解決したようで、本当に感激だった。

 

 14歳のぼくにクラシック音楽のおもしろさを嫌というほど教えてくれて、ありがとうございました。合掌。