秋本治先生が本当にすごいところ

 

10歳のときに初めて友人宅で『こち亀』を読んでから思春期に至るまで、この漫画はぼくのバイブルのようなものだった。

 

両さんに憧れ、下町に憧れ、趣味を真似、自転車の乗り方を真似(いま思うと相当危ないことをしていた)、なにをするにも『こち亀』が基準にあったように思う。

 

この作品はおよそ100巻を境にそれ以前・以後として語られることが多い。実のところ、ぼくが熱心な読者であったのも100巻までであった。もちろん100巻から先も、読むのを止めたわけではなかったが、かつての重厚な線が失われた、どんどん細く平坦になっていく絵柄への抵抗に加えて、両さんが寿司職人になる展開にも正直ついていけず、ぼくのこち亀への関心は急速に薄れていった。古参あるある、である。

 

いまコミックスを読み返しても、とくに50巻~70巻台のパワーは凄まじい。連載10年目を超えてなお、まったく衰えを知らない作者と両さんのバイタリティが迫力ある筆致となって溢れてくるのが画面からビシビシ伝わってくる。よく毎週毎週こんな面白い漫画が描けたものだ。

 

しかし疾走する重戦車のごときその作風のまま200巻まで継続することは不可能であったろう。また、連載当初から40巻台までにおいてもその都度、作風は絶えず変化を続けている。初期のファンからすれば、両さんの超人化が著しかった50~70巻の展開にこそ、ついていけなかった人もいたかもしれない。

 

作者・秋本治先生のすごさは、変化を恐れず、変化を続けられた(今も続けられる)ことにある。第100巻のサブタイトルは『インターネットで逢いましょう』。1996年当時、まだまだ一般には馴染みの薄かったインターネットにも素早く適応し、インターネットとは何か、読者にこの上なく分かりやすい解説を行っているのだ。

 

人間、中年にさしかかると新しいもの・自分が慣れていないものを摂取することが段々と億劫になってくるものである。秋本先生にはそういったところが微塵も感じられない。最近のインタビューでは「VTuberが大好き」と語っている。もとから多趣味の御仁とはいえ、66歳にしておそるべき好奇心の塊だと驚くしかない。

 

この秋本先生と両さんのスタイルは、非常に大切なことを教え示してくれている。変化を嫌わず、常に最新を求めよと。アンテナを張り、アップデートを怠るなと。若く多感なころに摂取した多くの作品、その懐かしさと心地よさの沼にずぶすぶ沈んでゆくだけの老人になってはいけないと。

 

もしもこち亀が100巻で終わっていたら。それはそれでニュースになっただろうし、引き際の良さを讃える声もあったことだろう。連載後半期において、ときに昔の読者から発せられる「100巻で終わるべきだった」「止め時を見失った」などのバッシングに晒されながら、それでも秋本先生と両さんは過去のスタイルにとらわれることなく、絶え間なく自身を更新し、変わり続けながら40年を駆け抜けた。まことに敬服すべき仕事であり、自分もかくありたいものだと思う。いや、それが難しいんですけどね……。

 

なんか真面目なことを書いてしまいましたが、こち亀はとことんギャグ漫画だし、その面白さについて他に書きたいこともあります。本日については「やっぱりこち亀は大人になってもバイブルでした」ということで。