鼻歌特定アプリがGoogleよりすごかった話

ずいぶん前から、ある歌のサビのメロディが不意に頭の中で流れてくることがあり、しかし誰の何という曲なのかがさっぱり分からないのであった。分かるのは

・女性が歌っている

・アレンジの感じからしてたぶん80年代

ということくらいで、あとはAメロBメロもさっぱり思い出せない。せめて歌詞の断片がワンフレーズでも分かればすぐ検索できるのに歌詞だけはなぜかホニャララした感じで漠然としか思い出せず、なんとなく見当をつけて検索してみてもどういうわけかヒットするのは三代目J Soul BrothersとHey!Say!JUMPの歌ばかり、完全に途方にくれていたのである。

あるていど有名な曲なのは間違いなさそうで、家の者たちにサビを歌って聴かせても「聞いたことはあるがタイトルは分からない」と言うし、先日も問屋街で豆菓子の徳用袋798円を選んでいたら店内BGMでこの曲のインストが流れてきたため慌ててオッケーグーグルを天井のスピーカーに向けたものの、結果は「曲を特定できませんでした」であった。どうもGoogle先生は「メロディだけ」とか「鼻歌」に関してはまるっきり不得意なようで、今までも幾度となく恥ずかしさをこらえながら「OKGoogle、これなんて曲?」と歌ってみたのだが何十回やっても「曲を特定できませんでした」しか返ってこず、CMでやってるみたいな調子に全然いかない。ぼくの歌が下手という点を差し引いても、むかし家電で流行ったファジー機能が足りてない。

もはや五線紙にサビのメロディを書き「この曲わかる人いますか」とYahoo知恵袋に投稿するしか道はないのか…と思いつめていたところ、ふと、鼻歌を検索してくれるアプリとかあるのでは? と思った。しかし天下のGoogle先生ができない鼻歌からの楽曲特定が、そこいらのアプリにできるものだろうか。いぶかりながらも「鼻歌」で検索して出てきたアプリをインストールし、サビをふんふんと歌ってみたところ、なんと5秒で特定してくれた。

その歌はシャーリーンというアメリカ人女性歌手の"I've Never Been to Me"(邦題「愛はかげろうのように」)であった。ところが、ぼくの記憶だと歌詞はおぼろげながらも日本語なのである。そこで「愛はかげろうのように カバー」で調べてみて、ついに椎名恵さんという方の歌う『LOVE IS ALL ~愛を聴かせて~』にたどり着いた。タイトルが元の邦題からまったく変わっており、そりゃ手がかりなしで探すのに難儀するはずだと思いながらも、ぼくの頭の中で繰り返し流れていたのは間違いなく椎名恵さんのこのバージョンである。いい歌だ。こうして長年の謎は一瞬にして解消された。ありがとう鼻歌特定アプリ。

ところで、ぼくは椎名恵なる歌手を知らなかったし、いちど聴いたら忘れられない印象的なメロディであるとはいえ、こんなに記憶に焼きつくほど一体どこでこの曲を聴いたのか、今度はそっちが思い出せない。『LOVE IS ALL ~愛を聴かせて~』は1986年のTBSドラマ『おんな風林火山』の主題歌だったようなのだが、当時9歳でコロコロコミックとファミコンにしか興味のなかったぼくがそんなドラマを見ていたはずもなく、さらにこのドラマが視聴率の低迷と制作費の高騰で打ち切りになったという余計な情報も得てしまい、ぼくは静かに眠りについたのである。

『タケシとタツヤとマリコとライト』を観てきた話

 

注意!

この記事は激しくネタバレを含みます。

作・福田卓郎、タケシとタツヤとマリコとライト『フランクロイドは電気羊の夢を見ない?』は、今後も再演される可能性が高いです。

まだ舞台をご覧になっていない方は、ここから先の記事をお読みにならないよう、お願いします。

この作品は絶対にネタバレなしで観賞してください。

ここからネタバレあり

 

 

前回は長くなりすぎたので、今回はシンプルに行くぞ!

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〜巨匠の建築で三人芝居〜
タケシとタツヤとマリコとライト
『フランクロイドは電気羊の夢を見ない?』
作:福田卓郎

出演:前田剛 牧野達哉 宮地眞理子

場所:自由学園明日館 ラウンジホール

 

 

いやーおもしろかったですね!!

 

受付でチケットを受け取り、案内されるままホールの扉をくぐると、いきなり黒服のマエタケさんが話しかけてくるという超展開。

 

え、マエタケさん、キャストですよね?? いっしゅん他人のそら似かと思いましたけど、どう見てもマエタケさんっすよね???

 

もう何が起こっているのか分かりません。これ初見のマエタケさんファンはかなりびびると思います。ぼくも入ってすぐ宮地さんが客席案内係やってたらびびります。

 

初日は10杯が即完売したから今日は40杯ぶん増量したというコーヒー推しの強さ含め、すでに何かが始まっている予感が客席全体を覆う中、タケシさんによる前説(?)が始まった。

 

「本日、我々の説明は65分程度を予定しています」(「上演時間」ではなく「我々の説明」って何……?)

 

「携帯やスマートフォンは音を切ってください。『どなたですか!』とならないように、お願いします」(これも伏線でした)。

 

客席を見渡し、手に持った名簿をチェックしたタケシさんが「まだ何人か来られていない方がいらっしゃいますので……」と、言ってるそばから作業着姿のタツヤさんが登場して、「やられた!!」と思いましたよ。

 

ぼくたちが入口でチケットを受け取りホールに足を踏み入れたあの時、すでに舞台は開演していた!

 

タケシさんは客席案内係の役割を果たしながら、すでに「ブローカーのカキザキ」として我々を物語世界へと引きずり込んでいた!

 

つまり開場時間と開演時間に境目がなく、シームレスに日常から非日常へ連れて行かれる恐ろしい仕掛けだったのだ!!

 

まだ開演前だから……と油断していたお客は、いつの間にか自分たちがこの戯曲の世界で登場人物のひとりとして存在してしまっていることに気付かされ、慄然とする。この心地よい騙され感!

 

境目がないのは開演時間だけじゃない。ここにはもはや舞台と客席の区別もない。なぜならぼくらもこの裏口入g……もといファストパス斡旋会の参加者なのだから。演者(我々も含む)は、ホールの空間すべてを舞台として使う。後方暖炉前スペースも、窓の向こう側の外通路でさえも。

 

入場の際に手渡されたアンケート用紙も、終演後によく見ると、意味が分かってくる


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アンケートではなく「申請用紙」。「今日この日が素敵になりますよう」とか「お話をお聞きになってお思いになったことを」とか、妙に持って回ったこの言い方、ああ、そうかこれ、限定10名のファストパス申請用紙になってるのか! 凝ってる!

 

そしてマリコさん。タツヤさんの頭をバンバンにはたいてました。髪をバッとほどいて身分を明かすところ、カッコよかったですね。

 

マリコさんは言います。「ライトがどんな思いでここを設計したと思うの?」。その瞬間、ホール全体が祈りのような沈黙に満ちました。確かにお芝居はフィクションかもしれません。しかしタケシが語ったライトの壮絶なエピソードは史実であり、今我々がいるこの建築空間は正真正銘、ライトの手によるものです。この戯曲がここでしか上演できない理由、その極めつけが、マリコさんのこのセリフにありました。

 

ちなみにマリコさんが手錠を取り出すシーン、上着のポケットにはなくて、結局カバンの中から出してきたため「後ろ向いて」を2回やってましたけど、あれは台本通りなのかアドリブだったのか、判然としませんでした。なんかタケシとタツヤのリアクションが素ぽかったので……。

 

そのあと唐突に「レイチェルです♪」と名乗るマリコさん。タツヤさんが「なんだよレイチェルって」とつっこむのを聞きながら、ぼくも「なんだよレイチェルって」と思ってたら、『電気羊』の原作小説に登場する女性型アンドロイドの名前なんすね。お前は人間かそれともアンドロイドか? ブローカーか詐欺師かそれとも警官か? 全員が身分を偽って正体の探りあいをするこのお話の本筋が、符号として「レイチェルです♪」のセリフに込められていたのでしょうか。

 

最後、タケシもタツヤもマリコも外へ出て行って物語は幕を閉じますが、そのあと三人がホールへ戻ってくるまでの間、完全にほったからしになるのも面白かったです。まさにあの時こそ我々お客の演技が試されていたような気がします。

 

ライトの建築と空間を活かした、ここでしかできない舞台、想像以上の体験でした。ぼくらもそれぞれに自分の役を楽しく演じさせてもらいました。

 

関わったキャスト・スタッフの皆様に感謝を。お見事!

 

宇野功芳先生ありがとう、いつも楽しい評論を書いてくれて…

 

 2016年が過ぎ去ろうとしている。ブーレーズアーノンクールなどクラシック音楽界にも大家の訃報があったが、ぼくにとってはやはり宇野功芳さんの逝去がいちばん衝撃だった。

 

■チャーミングなおっさん

 みなさんは、ブルックナーのスコアにおいてメゾ・ピアノ(mp)の指定がまったくと言っていいほど使われていない、その理由を御存知であろうか。

 ぼくは知っている。なぜなら宇野功芳が教えてくれたから。ブルックナーの初恋の相手はマリア・プフィッツナーという女の子だった。しかし熱烈な片思いはほどなくして爆砕、失恋の痛手を負ったブルックナーはそれ以降、彼女のイニシャルであるm・pを書けなくなったのだ―――。衝撃的な逸話だが、衝撃的なのは当たり前で、これはもちろん宇野さんの作り話である。あろうことか、宇野さんはこの与太話を『レコード芸術』誌の交響曲新譜月評欄でわざわざ書いていた。クラシック音楽評論家という一般には堅苦しい職業のイメージとはかけ離れた、なんというふざけたおっさんであろうか。

 

■「メータのブルックナー

 宇野功芳といえばメータのブルックナー。メータのブルックナー抜きにして宇野功芳は語れない。

 「メータのブルックナーなど聴きに行くほうが悪い」。有名なこの文言は宇野さんの代表的著書である講談社現代新書『クラシックの名曲・名盤』に書かれたもので、本書は氏のライフワークとしてその後も増補改訂がくりかえされ、現在売られている最新版にも「メータのブルックナー」の一節はもちろん語句を変えることなくそのまま記載されている。だって、これがなければ、この本がこの本でなくなってしまうようなものなのだから。

 冷静に考えてみると、「メータのブルックナー」にせよ「小澤のエロイカはまるでスーパードライ」にせよ、いったい皆、何十年前の文章をいまだに引っぱり出して遊んでいるのか。小澤スーパードライの件だって、ぼくはリアルタイムにレコ芸で読んだ記憶があるけれども、それだってもう20年以上前の話だぜ。いち音楽評論家の発言がこれだけ人口に膾炙した例としては、これ以外だと吉田秀和ホロヴィッツ評「ひびわれた骨董品」くらいなものではなかろうか。

 宇野功芳『クラシックの名曲・名盤』以前にも、クラシック音楽を初心者に分かりやすく解説しようというやさしい入門書の類いはあった。けれども、誰も宇野功芳のようなやり方でクラシック音楽を紹介することはできなかった。当時、宇野功芳ほどクラシックをポップに語れる評論家がいなかったのだ。

 これからクラシック音楽を聴きはじめようという人に、作曲家の生い立ちとか、ソナタ形式や調性がどうとか、そんな知識は必要ではなく、ただ最高の曲と最高の演奏はこれだと提示し、そのすごさについて語ればよかった。

 宇野功芳は、誰よりも的確にそれができた。というより、おそらくこれ以外のやり方を知らず、氏にとって唯一だったこの方法は宇野節と呼ばれるようになり、書籍は売れて版を重ね、その言葉はクラシック音楽ファンに浸透していく。

 ここで危険なのは、実際ぼくにもそういう時期があったが、宇野さんの評論を読んでいるうち、いつしか自分も宇野さんと同じ鑑賞眼を手に入れたような錯覚に陥ってしまうことにある。宇野さんがカラヤンについて述べた言葉「カラヤンの演奏でクラシック音楽に入門するのは良いが、初歩の段階を過ぎたら、他の指揮者に移っていかなければならない」は、そのまま宇野功芳の評論にもあてはまる。宇野さんの推薦盤を聴いて「ちょっと違うくね?」と感じた瞬間こそが、まさに初心者を脱する瞬間といえるのだ。

 

■君がいなくちゃケンカできない

 アンチ・カラヤンの急先鋒と思われがちだった宇野さんであるが、そこは是々非々で、良いと感じた演奏については意外にキチンとほめていて、カラヤン指揮によるベートーヴェンの『三重協奏曲』など、言葉を尽くして絶賛している。交響曲については最後まで点が辛かったが、そんな宇野さんのカラヤン批判も、帝王没後はしだいにトーン・ダウンし、近年ではカラヤン特集のムック本に寄稿するまでになっていた(以前なら考えられない)。その中で「カラヤンが亡くなってから、クラシック音楽界は火が消えたようになってしまった」「カラヤンには功罪あったが今となっては功のほうが大きかった気がする」と、さみしさすら漂わせている(以前なら考えられない!)。俺ぁよぉ御前さんが大嫌いだったけどよぉ、御前さんがいなくなってから、なんだかちっとも酒がうまくねぇんだよ、ちきしょうめ、って人情話みたいな有様ではある。

 

■キャラクター化した演奏家たち

 もうひとつ、宇野功芳の功罪は、演奏家それぞれの個性や特色を、まるで漫画の登場人物のようにキャラクター付けしたことにある。カラヤンは外面だけ豪華で無内容。フルトヴェングラーは精神性。トスカニーニはイン・テンポで楽譜に忠実。メンゲルベルクはロマンティック。朝比奈隆は不器用で愚直。小澤征爾は軽薄。バックハウスは無骨で深い。ハイドシェックは天衣無縫。ポリーニはうまいが浅薄。シゲティは下手だが深遠。などなど、実際には演奏家の音楽観というのはこんな単純化できるものではないとはいえ、これがとてつもなく効果的だったのだ。なにしろ宇野さんの著作にかぶれていた頃のぼくは、トスカニーニメンゲルベルクの音源など一枚も所有していなかったにもかかわらず、彼らの演奏の性格がどういうものなのか、はっきり知っていたのだから。

 個人的に、評論家・宇野功芳の最高の仕事として、バイロイトの第九のライナーを挙げたい。お手元にある方はぜひ一度読み返していただきたいが、最初から最後までこれぞ宇野功芳、これぞ宇野節と言いたくなる文章がぎっしりつまっており、もうよだれが落ちそうになる。ぼくなど何百回読んだか数えきれず、もはや演奏よりもこのライナーを愛しているほどで、まこと、批評が対象を超越した稀有な例といえよう。これを超えるライナーは今後もけっして現れまい(あ、もういいですか)。

 

 ■『指環』はいいぞ

 迷演・珍演・怪演揃いの宇野功芳指揮・新星日響によるオーケストラ・リサイタルの中でも、ワーグナーの『ニーベルングの指環』ハイライトは、ガチで良い。ちなみに、正直に申し上げてベートーヴェン交響曲シリーズはキツい。一聴おもしろくはあっても、繰り返しの鑑賞に耐えうるシロモノとはとても言えないが、『指環』は迫真の出来栄えで、この作曲家の豊潤な音のスペクタクルを堪能できる。「ブリュンヒルデの自己犠牲」掉尾を飾る愛の救済の動機まで、本当に心のこもった演奏で、最終和音におけるティンパニの、まさにいのちのかかった最強打(!)も必聴だ。

 

■さいごに

 宇野さんとは、昨年の夏いずみホールでの「第九」演奏会終了後にお話させていただき、握手してもらったのが最後となった。実はその前にも一度、ぼくが高校生のとき、シンフォニーホールで朝比奈隆ブルックナー9番を聴いた帰り道、大阪環状線の車中でばったり宇野さんに出くわして、おそるおそる声をかけたことがあった。ところが、あまりに舞い上がっていたぼくはサインはおろか握手すらお願いするのを忘れ、そのまま宇野さんは次の駅で降りて行ってしまわれた。さすがにその時のことなど覚えてはおられなかったが、「では20年越しの握手をしましょう」と手を差し出してくださった。ぼくは、自分の青春のひとつの不協和音が解決したようで、本当に感激だった。

 

 14歳のぼくにクラシック音楽のおもしろさを嫌というほど教えてくれて、ありがとうございました。合掌。

 

やっぱり、ベトはすごかった

 タイトル詐欺みたいなんですが・・・モーツァルトのピアノ協奏曲第20番二短調について書きます。 泣く子も黙るケッヘル466番である。 ははー。

 この時代の協奏曲には、第一楽章の終わり近く、 「ここはソリストの好きなようにやったんさい」 と楽譜に何も書かれていない 「カデンツァ」 と呼ばれる部分がある。 オーケストラは演奏を止め、ピアノやヴァイオリンの独奏がぞんぶんに腕をふるう、ようするにピアノ・ソロ、ヴァイオリン・ソロが展開されるところ、という理解で差しつかえないと思う。

 モーツァルトの時代よりもっと昔むかしのカデンツァは、ガチのアドリブでやっていたらしい。 しかし時代が下るにつれ、まあ、毎回そんな即興ばっかりでというのも、その、皆しんどいし、ちょっとね、と大人の判断が積み重ねられ、しだいにカデンツァは本番前にあらかじめ作曲されたもの、あるいは過去に誰かが作りつけたものを使って演奏するのが通例となっていく。

 全部で27曲あるモーツァルトのピアノ協奏曲においては、モーツァルト自身がカデンツァをつけたものもあるし、つけていないものもある。 この二短調協奏曲第20番にも、彼はカデンツァを書いていない (たぶん、めんどくさくなったのだろう)。 ゆえに後世のピアニストは、超天才の書いた楽曲の空白部分を自作で埋めよ、という厳しい宿題を課されることとなった。

 が、幸いというかなんというかこの曲には、かのベートーヴェンが書き残したカデンツァが存在する。 だから現在でも多くのピアニストは、このベートーヴェン作のカデンツァを弾く。 これはすごい。 モーツァルトの曲にいきなりベートーヴェンが入ってくるんだぜ。 西洋音楽史上まれに見る天才と天才の、夢の競演である。

 とはいえベートーヴェンの心境は競演というよりも、むしろ 「対決」 に近かったのではないだろうか。 胸を借りるのではなく、あくまでモーツァルトに拮抗する音楽をつけたいと、ベトさんはきっとそう思ったはず。 考えに考え、悩みに悩んで、このカデンツァを作ったに違いないのだ。

 正直に告白すると、ぼくは初めてこのカデンツァを聴いたとき、 「ベートーヴェンが作ったにしてはパッとしないなあ」 と、神をも恐れぬ感想を抱いたものである。 なーんか音階をやたら上がったり下がったり、こけおどしのような響きで、展開にも乏しく、楽聖さんどうしたの、ちょっと芸がなさすぎるんじゃない、とか思っていた。 ほんと恐れを知らぬとはこのことである。

 というのも、このカデンツァにはベートーヴェンの普遍的なイメージであるところの苦悩とか、運命との闘いとか、そういういかにも大仰な表情や緊張感が、どうも希薄なのだ。 とてもダイナミックでなおかつ美しい、まぎれもなくベートーヴェンの音楽ではあるのだけれど、うーん何かが違う。 聴こえてくるのは、そう、なんだか分からないが得体の知れぬ、とてつもなく巨大な、しかし質量はない、そんなものが・・・

 で、ああ、そうか、と思った。 これは虚無だ。 あるいは宇宙と言ってもいい。 映画 『ゼロ・グラビティ』 じゃないけれど、ぼくはこのカデンツァが始まった途端、まるで何もない漆黒の宇宙空間に放り出されたような、そんな感覚に襲われる。 つまりそういうことだったんだ。

 ベートーヴェンは考えた。 絶望、苦悩、運命への抗い、自身がもっとも得意とするところのそれら感情表現はしかし、この曲のはじまりからずっとモーツァルトが鳴らしているのだ。 いわばお株を奪われた状態が約10分にわたって続き、そこへ来てさあカデンツァで通常のベートーヴェン節を差し込んだのでは、キャラかぶり、二番煎じ、劣化コピーなどの謗りを免れない。 かといってカデンツァの後は二短調に戻って終結するわけだから、変に明るい曲調にするわけにもいかず、やはりここはどうしても短調で勝負する必要がある。

 じゃあ、どうしたか。

 絶望に絶望をぶつけたって、何も解決しない・・・この絶望は、巨大な虚無で受け止めるしかない。 たぶんベトさん、そう思った。

 耳を澄まして聴いてみると、カデンツァはまず、低音と高音の神秘的だがどこか不気味なかけ合いで始まる。 そのあと美しい第二主題が静かに再現されて、しだいに高揚していき、第一主題を軸とした劇的な展開がしばし繰り広げられるも束の間、すぐにまた静まりかえると、突然、さっきまであんなに美しかった第二主題が突然モノリスのように抽象化された、変わり果てた姿となって立ち現われ、ここで音楽はロマン派を飛び超えいきなり20世紀の音楽にタッチしてしまったかのような光景に変貌し、最後は右手が高音のトリルを持続する中を、左手がまるで宇宙の軸がひずんで、ゆがんで、壊れてゆくような恐ろしい (けど音は極めてシンプルな) 風景を一瞬映し出し、終わる。

 ベートーヴェン渾身の作であるこのカデンツァは、わずか2分半の間に宇宙の創生から終末までを描写している、と思う。 ぼくは最初その 「からっぽ」 感が (あまりの巨大さゆえ) 掴み切れず、なんだかよくわからないという感想しか持てなかった。 おそるべき2分半である。 そしてこの巨大な虚無はモーツァルトの絶望を受け止め、押し返し、ピアノ協奏曲第20番に無限の強度を与えた、と感じる。

 いやー、しかし、ここまで書いておいてなんなんですが、この曲しんどい。 たまに聴くにはいいけど、多くのモーツァルトファンの言うとおり、やっぱしこの作曲家は、長調に限る。 明るくなければモーツァルトじゃない!

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日本に、朝比奈隆がいてよかった。

 

 

 本邦のクラシック音楽ファンにとって朝比奈隆をどう評価するかは、けっこう避けては通れない問題で、それはかつてのカラヤンに対するそれと同じような、ある種の踏み絵となっている。

 

 

 ぼくは90年代の、まさに朝比奈ブーム華やかなりし時期、何度か朝比奈と大フィルの演奏を生で聴いた。 聴くには聴いたんだが、まったく正直なところ、あまり印象には残っておらず、 「アンサンブル、雑だったな」 という感想が思い起こされる程度なのでした。 すいません。

 

 

 聴衆は熱狂していた。 ブルックナーの8番、サントリーホールでのライヴ盤で1トラックまるまる収録されている "applause (拍手)" 、いわゆる 「一般参賀」 は後日の大阪ザ・シンフォニーホールにおける凱旋演奏会でもほぼ完全に再現され、その中でぼくもまた他のお客たちと一緒に、誰もいなくなったステージに向けて30分近く拍手を送り続けていたものである。

 

 

 しかし朝比奈ブーム牽引の一翼を担った当の宇野功芳からして、朝比奈について 「この不器用な偉大なるアマチュア」 「棒は下手だし、耳が鋭いわけでもなく、音楽性が優れているわけでもない」 「その風格だけで大指揮者になった」 などと、わりとミもフタもないことを書いている(※1)し、また別の本におけるN響女性ヴァイオリン奏者の寄稿では、とあるブルックナーのリハーサルにおける朝比奈の指示がどれだけ雑なものであったかが包み隠さず書きつらねてあったり(※2)と、朝比奈の演奏が良くも悪くも、手兵大阪フィルの技術的力量も含め、こまけぇこたぁいいんだよ的性格のものであることは、存命のうちから十分に共有されていた認識だった。

 

 

 だからアンチ朝比奈派の評論家にどれだけクソミソ書かれたって、ファンからすると、音が鳴ってから指揮棒が下りてるだのスコアを何十ページもまとめてべらべらめくってるだのオケがちっとも棒を見てないだの、んなこた分かっててこっちは聴きに来てんだよ! と、まるで意に介さなかったんである。 なんでや! 阪神関係ないやろ!

 

 

 実のところ、ぼくはこの巨匠がもっとも適性を示した作曲家はブルックナーでも、ベートーヴェンでもなく、ブラームスだったんじゃないかという気がするし、実際ブラームスの交響曲 (とくに1番) は、朝比奈の指揮でよく聴きたくなる。ブルックナーでは当代随一を聴かせる大家としての責務をいつの間にか課せられ、またベートーヴェンには生涯とおして深い畏敬の念を隠さず、その演奏には常に悲壮な使命感すら漂わせていた朝比奈が、ことブラームスの音楽に対しては何ら気負うことなく、肩の力を抜いた等身大の姿でもって没入できたんじゃあるまいか。節目節目に好んで取り上げていたチャイコフスキーの5番なんかも、きっとそういう曲だったんだろうな。

 

 

 朝比奈が指揮するブラームスを聴いているとまるで、ぽかぽか晴れた日に猫が居眠りする縁側で囲碁など打ちつつお茶をすすりながら 「いやあ、あん時は参ってねえ、本当にねえ」 なんて老人の話に耳をかたむけているような趣がある。 これがたとえばヴァントだと、やっぱり違う。 とてもこんな長閑な風情じゃない。 ぼくは、どちらかと言えば朝比奈の、ふよーんとしたブラームスを好む。 たとえそれが西洋の伝統からは逸脱した異端の、あたかも洋食のようなブラームスであったとしても。

 

 

 ひょいと京大に入れるくらい頭が良く、容姿と人望にもすぐれ、なにより音楽が好きだった明治生まれのこのインテリ青年は、時代が求めた天才というわけではけっしてなかったけれども、時代が求めるままに指揮者となって、大阪フィルを創設、関西財界への太い人脈をフル活用し、半世紀にわたって指揮台に立ち続けた。 宇野功芳の言うとおり、偉大なるアマチュアが、風格と長生きだけで一代を築き上げたのだ。

 

 

 異例の経歴をもつ異端の指揮者だったはずの朝比奈だが、どういうわけか聴衆は彼に正統ドイツ音楽の継承を求め、朝比奈もよくそれに応えた。 没後15年目を迎えてなお、ベームのような忘れられ方はしていない。 今も若いファンが彼の遺した録音を聴いている。 なんという幸福な、もしかすると20世紀に生きた指揮者という指揮者の中で、もっとも幸福な指揮者人生を歩んだ人かもしれない。

 

 

 きっともう、こんな指揮者は出てこない。 日本にも、もちろん世界にも。

 

 

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※1 宇野功芳 "現代に巨匠は存在するのか"、クラシック現代の巨匠たち:音楽之友社(1994)P10

※2 鶴我裕子 "逃げまくりの二六年"、朝比奈隆 最後のマエストロ:河出書房新社(2002)P177

楽は三十三間堂に満ちて

 フジ三太郎には月見ソバがよく似合うと言うが、

 ブルックナーには仏像が似合う。

 先日、京都に来た知人といっしょに、三十三間堂へ行きました。

 三十三間堂なんて、ぼくも小学校の修学旅行以来だったんですけど、いや最高ですよここ。 観光名所としては清水寺金閣や二条城に比べて地味であるものの、京都駅から近くアクセスもいいし、自家用車で行ってもなんと40分以内なら駐車無料 (他の神社仏閣では考えられない!)。 拝観は靴を脱いで上がりますが、下駄箱が設置されていて、よくある靴袋に入れて出口まで持ち歩くスタイルではない。 あれ個人的に苦手なので。

 それよりなにより、堂内に配置された1001体の千手観音像は、本当に圧巻で、息をのむ光景です。 はっきり言って 「これ考えた人、頭大丈夫か」 レベル。

 「とりあえず仏像いっぱい作って並べたらなんかみんな幸せになる気がする」

 というヤケクソじみた、しかしどうしようもない、人の悲願を感じます。

 この1001体の観音像は一体一体すべてが違ったお顔で、公式サイトによると

 >観音像には、必ず会いたい人に似た像があると伝えられています

 という妙にロマンティックな一文があったりします・・・そ、そうかな・・・

 で、ロマンティックつながりではありませんが、ぼくがこの1001体の仏様を見ながら考えていたのはブルックナーのことでした。 というより、いつの間にか頭の中で勝手にブルックナーが鳴り出していました。 第8番のアダージョが。

 あっ!

 ブルックナー仏教美術、親和性が高い!!

 天啓のようにそう感じ、帰ってすかさず 「ブルックナー スペース 仏教」 でググってみても、チェリビダッケ禅宗仏教徒だったという例の話が出てくるばかり、仏像を眺めていたらブルックナーが聴こえてきた、というような証言はあまり得られません。

 チェリビダッケといえば、EMIから出ていたブルックナーのCDジャケットは南禅寺の石庭でした。 でも石庭からブルックナーは、ぼくにはあまり聴こえない。 やはりどうも、仏様のあのお姿なのです。

 またあるとき、片山杜秀さんの評論を読んでいたら、モーツァルト40番第二楽章のある部分で 「蓮華が開いていくような感じ」 を体験した、ということが書いてありました。 でもモーツァルトやバッハから仏教的感覚を聴取したことは (いかにもありそうな話ですが) ぼくはまだない。やはりどうも、ブルックナーなのです。

 8番のアダージョでいうなら練習番号G (109小節) からの、ホ長調ト長調変ロ長調へと転調しながら静かに高揚してゆくあの感動的な部分、まさに蓮の花が開いていくような、仏様の半眼のまなざしが自身と宇宙を見通していくような、そんな超感覚につつまれます。

 このブルックナー仏教美術の親和性に気づいてから、ぼくはブルックナー鑑賞も、仏教についての興味関心も、どちらも今まで以上に面白くなりました。

 ぼくが習っているピアノの先生は、三味線も教え子を持つほどの腕前で、「ピアノを弾いているからといって西洋ばかりに偏ってはいけない、和洋どちらも吸収することで見えてくるものがある」 とおっしゃっていました。 なるほどこういうこともあるのかと、しみじみ感じています。

 そういえば、東京の築地本願寺にはパイプオルガンが設置されているそうで、行ったことはありませんが、ぜひ見て聴いてみたいものです。

 そして日本のオーケストラ各位には、わざわざ遠く聖フローリアンまで行かずとも、日本のお寺のお堂でブルックナーを演奏してみていただきたい。 仏教伽藍に鳴り響くブルックナー、きっとものすごい風景が顕れるに違いないと確信します。

 そう思って曼荼羅を見つめながら耳を傾けていると、たとえば第9番のブルックナー開始における低音のユニゾンも、本堂に響き渡る僧侶たちの読経に聴こえてきませんか?

 「こねーよ」 というたくさんの声が聴こえてきそうですが、ここまで読んでいただきありがとうございました。

ニュー・ホライズンズの冥王星最接近に寄せて

 3時間ほど前の日本時間午後8時49分、探査機ニュー・ホライズンズが予定どおり冥王星の最接近に成功しました。

 ニュー・ホライズンズ冥王星から1万2000キロというごく至近距離まで近づいたものの、通過時の速度は時速4万5千キロというとんでもないもので、そのスピードで直径2千キロあまりの冥王星を横切るわけですから、日常の感覚にすると新幹線の窓から通過する小田原駅のホームの様子を観察するようなものかもしれません。

 これはぼくの勝手な想像というか推測ですが、この探査プロジェクト関係者の中には、ニュー・ホライズンズ冥王星フライバイさせるのではなく、その表面にランディング (というか、激突) させたかった人が少なからずおられるのではないでしょうか。

 途中、木星に立ち寄ったりしたとはいえ、ニュー・ホライズンズはほぼ 「冥王星専用機」 なわけですし、なによりこの星を発見したクライド・トンボーの遺灰が積まれた機体なのです。 表面に衝突すれば彼の遺灰はほとんど未来永劫、冥王星に保存されることになるはずです。 文系的な発想としては、最高の物語です。

 いや、でも、それはないな、と。 もちろん膨大な予算が投入された探査計画であり、ニュー・ホライズンズにはまだ太陽系外縁部の調査という重要な任務がありますから、冥王星に着陸などというのはあり得ない話です。 それより、そもそものトンボー氏はどう思うだろうか、と考えました。 自分が発見者となった星まで到達することができ、文字どおりそこに骨をうずめたいと願うか、それとも天文学者として宇宙の果てのもっと果てまで行ってみたいと思うか。 やっぱり、後者のような気がします。

 地球を発って9年半、数十億キロの旅の果てにようやく会えた冥王星はほんの一瞬で過ぎ去りました。 二言三言、声をかける時間もあったでしょうか。 いつものように手をつないでダンスしていた冥王星カロンのほうも、突然現れて消えて行った闖入者にさぞかし驚いたことでしょう。

 ひとまずおつかれさまでした。 これから君が少しずつ送ってきてくれる、たくさんのエキサイティングな写真を、みんな楽しみに待っていますよ。

 だけどジェニー あばよジェニー

 俺は行かなくちゃいけないんだよ (沢田研二「サムライ」)

いちばん行きたいとこは冥王星のプールサイド

 グスターヴ・ホルスト組曲 「惑星」 を作曲したのは1916年のこと。

 それから14年後の1930年、カルロス・クライバー宇野功芳が生まれた年に、クライド・トンボ―が太陽系の第9惑星となる冥王星を発見。 新惑星発見の報を受けたホルストは第8曲 「冥王星」 の作曲にとりかかるも、完成させることなく病没。

 70年近く経った2000年、ケント・ナガノから委嘱を受けたコリン・マシューズが 「冥王星」 を作曲。かくして組曲は補完されたかに見えた。

 ところがご承知のとおり2006年の国際天文学連合会議において、冥王星は 「惑星」 の定義を満たしていない、との決議が採択され、冥王星準惑星 dwarf planet に再分類されてしまう。

 

 けっきょく、太陽系の惑星は海王星まで、はからずも、ホルストが最初に作曲したとおりとなった。

 冥王星を "降格" させた決定は正しかったと思う。 科学の判断に人情が入ってはいけない。

 それでもなお、多くの天文ファンにとって冥王星は太陽系最大のロマンであり続けている。 準惑星になったからといって、かの星への興味が薄れることなどなかったはずだ。

 その冥王星に今、NASAの探査機 「ニュー・ホライズンズ」 が、最接近にあと1週間というところまで迫っている!!!

 子供のころ読んでいた宇宙の本には、もちろん冥王星の写真などなく、それは無数の星々の中に矢印で示されたひとつの小さな光の点、または (想像図) としての姿しか見ることができなかった。 太陽系最深部に浮かぶ、地球の月よりも小さいその天体は、ハッブル宇宙望遠鏡の最大性能をもってしても、表面のごくごく淡い陰影をかろうじて捉えるのがせいぜいだったのだから。

 小6だった1989年にボイジャー2号海王星のそばから撮影した鮮明な画像は、本当に感動的で、ぼくはそのときの新聞記事を今でもとってあるけれども、いつか冥王星にもボイジャーのような探査機が行って、こんな写真を見せてくれるのかなあと、ずっとずっと待っていたのだ。

 その心待ちにしていた瞬間がもう間もなく訪れようとしている。

 ニュー・ホライズンズにはトンボーの遺灰の一部が載せられているらしい。 これは、科学にまぎれた人情だ。 でもこの人情は、良しとしよう。

 85年前に彼が見つけた50億キロ彼方の光、その場所までまさか行けるなんて、トンボ―自身も思ってもみなかったことだろう。

 こっちでは間に合わなかったけど、ホルストもきっとあちらで 「冥王星」 を完成させてこの日を待っていたはず。

 「海王星神秘主義者」 のあとに続く長い長い空白がようやく終わり、いよいよシークレット・トラックが鳴り始めようとしている。

 きょうは七夕。 今年だけはベガとアルタイルじゃなく冥王星に、願いをかけたい。

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宇野功芳「真夏の第九」

 宇野功芳指揮の第九が聴ける日が来るなんて…。

 宇野功芳/指揮 真夏の「第九」

   2015年7月4日(土)いずみホール

宇野功芳(指揮)

  丸山晃子(S)、八木寿子(A)、馬場清孝(T)、藤村匡人(Br)

  大阪交響楽団、神戸市混声合唱

ベートーヴェン:歌劇「フィデリオ」序曲

        交響曲 第9番 ニ短調 「合唱付き」

 シンフォニーホールで大阪フィルとやった 「すごすぎる世界」 から十年、あのときはまだまだ壮年の印象が強かった宇野さんも、すっかりおじいちゃん。

 今回、演奏については細部がどうこう言うより (下にあれこれ書きましたけど)、ぼくはただただ感慨無量、プロオケとプロ合唱の安定感のもと、青春の 「功芳の第九」 を堪能いたしました。

 フィデリオ序曲では椅子に座っていた宇野さん。 第九になると立って指揮、とくにヴァイオリンに指示を出すときなど、コンマスの鼻先に指揮棒がつきそうなくらい身を乗り出して、もう元気元気。

 ざっくり感想を述べると、新星日響との1992年盤ではキツすぎたデフォルメのいくつかがより標準に近いスタイルに修正されながらも、ここは譲れないんだ、これが俺の第九なんだというこだわりと執念の85歳による美しい情熱の結晶でありました。

以下ネタバレ

第一楽章

・冒頭、安定のpp無視

・第一主題の終わりあたりからまさかの加速

・序奏が回帰するところで再び遅いテンポに戻るも、92年盤でギアをいきなりガクンと落としていた展開部へは、予想外に速いテンポで突っ込む

・再現部は待ってましたと言わんばかりのケレン味たっぷり、大見得を切るようなティンパニのうねり

・92年盤でオクターブ上げてた416、501小節の第一ヴァイオリンは楽譜どおり

・コーダ最後の決めはおなじみのやつ、ただテンポはわりかし速い

第二楽章

・出だし、まとも

・反復はすべてカット

・トリオ最後の思い入れじゅうぶん

・かわいい終結

・全体的にまとも

第三楽章

・白眉

・運命のファンファーレ、なんかスタッカートがないところも短く切るのが若干、気になる

・終結部、弦が泣いて、泣いて、ぼくも泣いた

 三楽章終了後、合唱団入場。 ぼくはアダージョ最後の音が終わってからプレストへはすべからくアタッカで突入すべきマンなので、ちょっといただけない。 拍手もパラパラ起こってしまっていたし、やや流れが分断された感はある。 あれだけの人数 (40人くらい) ならソリストと同じく終楽章開始後、それこそ歓喜主題の合奏中に入場とかでもおもしろかったのではと思いはするものの、もちろんそんなことは宇野さんも考えているはずで、様々の形を検討した結果これがベターと判断したのだろう。

 朝比奈隆ソリストも合唱もともに第一楽章から音楽を体験するべき、と考え、最初から全員が舞台上にいた。 宇野功芳は声楽陣のコンディションを第一に考えて直前で登場させる。 どちらが正解ということはない。 どちらも正しい。

第四楽章

・低弦の叙唱はテンポどおり。 速い速い

スケルツォの否定ではテンポを落とす。 フルトヴェングラー

・予告どおりアダージョの回想は弦がやる。 とてもよかった。 他の指揮者もやったらいいと思う

・遥か空の彼方から聴こえてくるバス歓喜のppppppp。 ああこういうことだったのか…と感動

・全合奏で 「間」 をとるのは92年盤と同じ

バリトン、バルコニー席から登場。 おもしろい

・「神の前に」 ティンパニリタルダンドフェルマータはわりと短め

・行進曲のさいごでアクセル踏んでフガートに入る

・二重フーガも超スローな92年盤よりはずいぶん速い

・コーダ。 マエストーソから速くして最後のプレスティシモへテンポを合わせるところ、快速ながらアンサンブルに配慮していた新星日響のときとは違って、なりふり構わず爆音で突き進む。 決まった

 オケは第一ヴァイオリンが約10人の小編成だったが指揮者の棒によく応え、アツい演奏を聴かせてくれた。 ぼくは4列目ほぼセンター、指揮台が目の前という文句のない席だったけれど、頭上を超えて行ってしまうのかチェロや金管の音が思ったほどには飛んでこず、第一楽章再現部などはちょっとだけ物足りなかったかな。 でもそんなのは些末なこと。

 「最高の第九」 ではないかもしれないが、「最高な第九」 だった。

 終演後はロビーでサイン会 (とくに何も買わずとも参加できた) が開かれ、たくさんの人が長い列を作っていた。 アイドルの握手会のような屈強なボディガードもおらず、時間制限で引き離されることもない、ほんわかとした雰囲気の中、みんな本当にうれしそうに宇野さんとお話されていた。 ぼくも、舞い上がりながら一言だけお礼を述べさせていただいた。

 なかば強引についてきてもらった知人はクラシックにまったく明るくなく、宇野功芳もきょう初めて知った、という人だったがホールを出て 「おじいちゃんかっこよかったし、音もすごくあたたかくて、でも最後はすごく燃えて、感動した」 と語った。 うむこれに付け加えるべき言葉はなにもない!

言葉なき歌、または宮崎駿は説明しない

 ☆ アカデミー賞受賞記念 ☆

 宮崎駿といえば活劇の人で、カーチェイスや飛行シーンにおいてその非凡なセンスが発揮されるのは万人の知るところであるがそれ以上に彼は何気ない、そう本当に何気ないカットに詩情をこめるのが上手いと思う。

 『天空の城 ラピュタ』 でぼくがいちばん好きなシーンは、パズーとシータがラピュタを後にして、遠ざかっていくラピュタをただじっと見送るあの場面。 だんだん小さくなり見えなくなるラピュタと、それを見つめる二人のカットが、実に4回もの切り返しを重ねて丁寧に丁寧に描かれる。 この間、音楽が鳴っているだけで、二人は一言も発しない。 しかしこのパズーとシータのまなざしに万感の思いが込められていることは、観客の全員が承知していることだ。

 ここでもし 「さよなら…ラピュタ…」 なんてセリフを言わしてたら、もう一気に興醒めのぶちこわしで三流作品に堕ちるところですよ。 正しく沈黙は金。

 宮崎映画の登場人物は、ここぞという時には黙る。 『となりのトトロ』 のあの日本映画史に残る名カット、サツキが初めてトトロに出会うバス停のシーンでも、セリフのない時間が長く続く (ここでは音楽もない)。 ようやく口を開いたサツキは傘の使い方について二言三言話すだけ。 いやもっと他になんか言うことないんかと。

 ぼくの大好きな 『魔女の宅急便』 のラストでは、キキに魔法の力が戻ったのにジジは 「ニャー」 としか言わない。 ここは解釈の分かれるところで、キキが成長した暗示としてジジとは話せなくなったと見るか、観客にはニャーとしか聞こえないけどキキには以前のように人語が聞こえていると見るか。 ぼくはキキの反応からして前者だと思う。

 宮崎駿は、余計な説明をさせない。 なぜなら粋じゃないから。 ポルコ・ロッソがなぜ豚になってしまったかという謎は本来あのフィルムにおける最大の関心であるはずなのに、そこには一切の言及がない。 なぜ千尋がこの豚たちの中に両親がいないことが分かったのかについても、何も語られない。 粋じゃないから。 ぼくはそういった演出のあれこれに、この監督の 「そんなこといちいち俺に言わせるなよ」 という照れと 「分かるやつだけ分かればいいんだ」 という尊大ともいえる絶大な自信とを、同時に感じる。

 北野武の映画も、もともとはそういう 「無粋な説明」 を省いたクールさが売りのひとつだったのにどういうわけか、本当にどういうわけか 『HANA-BI』 から過剰に説明的なセリフが乱発されるようになり、おかげであの映画はラストシーンだけが見どころの出来の悪いメロドラマになってしまった。 世界というマーケットを見据えて分かりやすい方向へと日和った結果なのかどうかはともかく、 『ソナチネ』 までの無愛想な作風にしびれた者としてはなんとも気恥ずかしいというか、にわかに受け容れがたい転向ではあった。

 『風立ちぬ』 を観る限り、この映画作家は往時の才能にまったく衰えを見せていない。 しかし宮崎駿は、北野武のような変節に至る前に自ら長編から身を引いた。 それはとても賢明な判断であったろう。