やっぱり、ベトはすごかった

 タイトル詐欺みたいなんですが・・・モーツァルトのピアノ協奏曲第20番二短調について書きます。 泣く子も黙るケッヘル466番である。 ははー。

 この時代の協奏曲には、第一楽章の終わり近く、 「ここはソリストの好きなようにやったんさい」 と楽譜に何も書かれていない 「カデンツァ」 と呼ばれる部分がある。 オーケストラは演奏を止め、ピアノやヴァイオリンの独奏がぞんぶんに腕をふるう、ようするにピアノ・ソロ、ヴァイオリン・ソロが展開されるところ、という理解で差しつかえないと思う。

 モーツァルトの時代よりもっと昔むかしのカデンツァは、ガチのアドリブでやっていたらしい。 しかし時代が下るにつれ、まあ、毎回そんな即興ばっかりでというのも、その、皆しんどいし、ちょっとね、と大人の判断が積み重ねられ、しだいにカデンツァは本番前にあらかじめ作曲されたもの、あるいは過去に誰かが作りつけたものを使って演奏するのが通例となっていく。

 全部で27曲あるモーツァルトのピアノ協奏曲においては、モーツァルト自身がカデンツァをつけたものもあるし、つけていないものもある。 この二短調協奏曲第20番にも、彼はカデンツァを書いていない (たぶん、めんどくさくなったのだろう)。 ゆえに後世のピアニストは、超天才の書いた楽曲の空白部分を自作で埋めよ、という厳しい宿題を課されることとなった。

 が、幸いというかなんというかこの曲には、かのベートーヴェンが書き残したカデンツァが存在する。 だから現在でも多くのピアニストは、このベートーヴェン作のカデンツァを弾く。 これはすごい。 モーツァルトの曲にいきなりベートーヴェンが入ってくるんだぜ。 西洋音楽史上まれに見る天才と天才の、夢の競演である。

 とはいえベートーヴェンの心境は競演というよりも、むしろ 「対決」 に近かったのではないだろうか。 胸を借りるのではなく、あくまでモーツァルトに拮抗する音楽をつけたいと、ベトさんはきっとそう思ったはず。 考えに考え、悩みに悩んで、このカデンツァを作ったに違いないのだ。

 正直に告白すると、ぼくは初めてこのカデンツァを聴いたとき、 「ベートーヴェンが作ったにしてはパッとしないなあ」 と、神をも恐れぬ感想を抱いたものである。 なーんか音階をやたら上がったり下がったり、こけおどしのような響きで、展開にも乏しく、楽聖さんどうしたの、ちょっと芸がなさすぎるんじゃない、とか思っていた。 ほんと恐れを知らぬとはこのことである。

 というのも、このカデンツァにはベートーヴェンの普遍的なイメージであるところの苦悩とか、運命との闘いとか、そういういかにも大仰な表情や緊張感が、どうも希薄なのだ。 とてもダイナミックでなおかつ美しい、まぎれもなくベートーヴェンの音楽ではあるのだけれど、うーん何かが違う。 聴こえてくるのは、そう、なんだか分からないが得体の知れぬ、とてつもなく巨大な、しかし質量はない、そんなものが・・・

 で、ああ、そうか、と思った。 これは虚無だ。 あるいは宇宙と言ってもいい。 映画 『ゼロ・グラビティ』 じゃないけれど、ぼくはこのカデンツァが始まった途端、まるで何もない漆黒の宇宙空間に放り出されたような、そんな感覚に襲われる。 つまりそういうことだったんだ。

 ベートーヴェンは考えた。 絶望、苦悩、運命への抗い、自身がもっとも得意とするところのそれら感情表現はしかし、この曲のはじまりからずっとモーツァルトが鳴らしているのだ。 いわばお株を奪われた状態が約10分にわたって続き、そこへ来てさあカデンツァで通常のベートーヴェン節を差し込んだのでは、キャラかぶり、二番煎じ、劣化コピーなどの謗りを免れない。 かといってカデンツァの後は二短調に戻って終結するわけだから、変に明るい曲調にするわけにもいかず、やはりここはどうしても短調で勝負する必要がある。

 じゃあ、どうしたか。

 絶望に絶望をぶつけたって、何も解決しない・・・この絶望は、巨大な虚無で受け止めるしかない。 たぶんベトさん、そう思った。

 耳を澄まして聴いてみると、カデンツァはまず、低音と高音の神秘的だがどこか不気味なかけ合いで始まる。 そのあと美しい第二主題が静かに再現されて、しだいに高揚していき、第一主題を軸とした劇的な展開がしばし繰り広げられるも束の間、すぐにまた静まりかえると、突然、さっきまであんなに美しかった第二主題が突然モノリスのように抽象化された、変わり果てた姿となって立ち現われ、ここで音楽はロマン派を飛び超えいきなり20世紀の音楽にタッチしてしまったかのような光景に変貌し、最後は右手が高音のトリルを持続する中を、左手がまるで宇宙の軸がひずんで、ゆがんで、壊れてゆくような恐ろしい (けど音は極めてシンプルな) 風景を一瞬映し出し、終わる。

 ベートーヴェン渾身の作であるこのカデンツァは、わずか2分半の間に宇宙の創生から終末までを描写している、と思う。 ぼくは最初その 「からっぽ」 感が (あまりの巨大さゆえ) 掴み切れず、なんだかよくわからないという感想しか持てなかった。 おそるべき2分半である。 そしてこの巨大な虚無はモーツァルトの絶望を受け止め、押し返し、ピアノ協奏曲第20番に無限の強度を与えた、と感じる。

 いやー、しかし、ここまで書いておいてなんなんですが、この曲しんどい。 たまに聴くにはいいけど、多くのモーツァルトファンの言うとおり、やっぱしこの作曲家は、長調に限る。 明るくなければモーツァルトじゃない!

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日本に、朝比奈隆がいてよかった。

 

 

 本邦のクラシック音楽ファンにとって朝比奈隆をどう評価するかは、けっこう避けては通れない問題で、それはかつてのカラヤンに対するそれと同じような、ある種の踏み絵となっている。

 

 

 ぼくは90年代の、まさに朝比奈ブーム華やかなりし時期、何度か朝比奈と大フィルの演奏を生で聴いた。 聴くには聴いたんだが、まったく正直なところ、あまり印象には残っておらず、 「アンサンブル、雑だったな」 という感想が思い起こされる程度なのでした。 すいません。

 

 

 聴衆は熱狂していた。 ブルックナーの8番、サントリーホールでのライヴ盤で1トラックまるまる収録されている "applause (拍手)" 、いわゆる 「一般参賀」 は後日の大阪ザ・シンフォニーホールにおける凱旋演奏会でもほぼ完全に再現され、その中でぼくもまた他のお客たちと一緒に、誰もいなくなったステージに向けて30分近く拍手を送り続けていたものである。

 

 

 しかし朝比奈ブーム牽引の一翼を担った当の宇野功芳からして、朝比奈について 「この不器用な偉大なるアマチュア」 「棒は下手だし、耳が鋭いわけでもなく、音楽性が優れているわけでもない」 「その風格だけで大指揮者になった」 などと、わりとミもフタもないことを書いている(※1)し、また別の本におけるN響女性ヴァイオリン奏者の寄稿では、とあるブルックナーのリハーサルにおける朝比奈の指示がどれだけ雑なものであったかが包み隠さず書きつらねてあったり(※2)と、朝比奈の演奏が良くも悪くも、手兵大阪フィルの技術的力量も含め、こまけぇこたぁいいんだよ的性格のものであることは、存命のうちから十分に共有されていた認識だった。

 

 

 だからアンチ朝比奈派の評論家にどれだけクソミソ書かれたって、ファンからすると、音が鳴ってから指揮棒が下りてるだのスコアを何十ページもまとめてべらべらめくってるだのオケがちっとも棒を見てないだの、んなこた分かっててこっちは聴きに来てんだよ! と、まるで意に介さなかったんである。 なんでや! 阪神関係ないやろ!

 

 

 実のところ、ぼくはこの巨匠がもっとも適性を示した作曲家はブルックナーでも、ベートーヴェンでもなく、ブラームスだったんじゃないかという気がするし、実際ブラームスの交響曲 (とくに1番) は、朝比奈の指揮でよく聴きたくなる。ブルックナーでは当代随一を聴かせる大家としての責務をいつの間にか課せられ、またベートーヴェンには生涯とおして深い畏敬の念を隠さず、その演奏には常に悲壮な使命感すら漂わせていた朝比奈が、ことブラームスの音楽に対しては何ら気負うことなく、肩の力を抜いた等身大の姿でもって没入できたんじゃあるまいか。節目節目に好んで取り上げていたチャイコフスキーの5番なんかも、きっとそういう曲だったんだろうな。

 

 

 朝比奈が指揮するブラームスを聴いているとまるで、ぽかぽか晴れた日に猫が居眠りする縁側で囲碁など打ちつつお茶をすすりながら 「いやあ、あん時は参ってねえ、本当にねえ」 なんて老人の話に耳をかたむけているような趣がある。 これがたとえばヴァントだと、やっぱり違う。 とてもこんな長閑な風情じゃない。 ぼくは、どちらかと言えば朝比奈の、ふよーんとしたブラームスを好む。 たとえそれが西洋の伝統からは逸脱した異端の、あたかも洋食のようなブラームスであったとしても。

 

 

 ひょいと京大に入れるくらい頭が良く、容姿と人望にもすぐれ、なにより音楽が好きだった明治生まれのこのインテリ青年は、時代が求めた天才というわけではけっしてなかったけれども、時代が求めるままに指揮者となって、大阪フィルを創設、関西財界への太い人脈をフル活用し、半世紀にわたって指揮台に立ち続けた。 宇野功芳の言うとおり、偉大なるアマチュアが、風格と長生きだけで一代を築き上げたのだ。

 

 

 異例の経歴をもつ異端の指揮者だったはずの朝比奈だが、どういうわけか聴衆は彼に正統ドイツ音楽の継承を求め、朝比奈もよくそれに応えた。 没後15年目を迎えてなお、ベームのような忘れられ方はしていない。 今も若いファンが彼の遺した録音を聴いている。 なんという幸福な、もしかすると20世紀に生きた指揮者という指揮者の中で、もっとも幸福な指揮者人生を歩んだ人かもしれない。

 

 

 きっともう、こんな指揮者は出てこない。 日本にも、もちろん世界にも。

 

 

ーーーーー

※1 宇野功芳 "現代に巨匠は存在するのか"、クラシック現代の巨匠たち:音楽之友社(1994)P10

※2 鶴我裕子 "逃げまくりの二六年"、朝比奈隆 最後のマエストロ:河出書房新社(2002)P177

楽は三十三間堂に満ちて

 フジ三太郎には月見ソバがよく似合うと言うが、

 ブルックナーには仏像が似合う。

 先日、京都に来た知人といっしょに、三十三間堂へ行きました。

 三十三間堂なんて、ぼくも小学校の修学旅行以来だったんですけど、いや最高ですよここ。 観光名所としては清水寺金閣や二条城に比べて地味であるものの、京都駅から近くアクセスもいいし、自家用車で行ってもなんと40分以内なら駐車無料 (他の神社仏閣では考えられない!)。 拝観は靴を脱いで上がりますが、下駄箱が設置されていて、よくある靴袋に入れて出口まで持ち歩くスタイルではない。 あれ個人的に苦手なので。

 それよりなにより、堂内に配置された1001体の千手観音像は、本当に圧巻で、息をのむ光景です。 はっきり言って 「これ考えた人、頭大丈夫か」 レベル。

 「とりあえず仏像いっぱい作って並べたらなんかみんな幸せになる気がする」

 というヤケクソじみた、しかしどうしようもない、人の悲願を感じます。

 この1001体の観音像は一体一体すべてが違ったお顔で、公式サイトによると

 >観音像には、必ず会いたい人に似た像があると伝えられています

 という妙にロマンティックな一文があったりします・・・そ、そうかな・・・

 で、ロマンティックつながりではありませんが、ぼくがこの1001体の仏様を見ながら考えていたのはブルックナーのことでした。 というより、いつの間にか頭の中で勝手にブルックナーが鳴り出していました。 第8番のアダージョが。

 あっ!

 ブルックナー仏教美術、親和性が高い!!

 天啓のようにそう感じ、帰ってすかさず 「ブルックナー スペース 仏教」 でググってみても、チェリビダッケ禅宗仏教徒だったという例の話が出てくるばかり、仏像を眺めていたらブルックナーが聴こえてきた、というような証言はあまり得られません。

 チェリビダッケといえば、EMIから出ていたブルックナーのCDジャケットは南禅寺の石庭でした。 でも石庭からブルックナーは、ぼくにはあまり聴こえない。 やはりどうも、仏様のあのお姿なのです。

 またあるとき、片山杜秀さんの評論を読んでいたら、モーツァルト40番第二楽章のある部分で 「蓮華が開いていくような感じ」 を体験した、ということが書いてありました。 でもモーツァルトやバッハから仏教的感覚を聴取したことは (いかにもありそうな話ですが) ぼくはまだない。やはりどうも、ブルックナーなのです。

 8番のアダージョでいうなら練習番号G (109小節) からの、ホ長調ト長調変ロ長調へと転調しながら静かに高揚してゆくあの感動的な部分、まさに蓮の花が開いていくような、仏様の半眼のまなざしが自身と宇宙を見通していくような、そんな超感覚につつまれます。

 このブルックナー仏教美術の親和性に気づいてから、ぼくはブルックナー鑑賞も、仏教についての興味関心も、どちらも今まで以上に面白くなりました。

 ぼくが習っているピアノの先生は、三味線も教え子を持つほどの腕前で、「ピアノを弾いているからといって西洋ばかりに偏ってはいけない、和洋どちらも吸収することで見えてくるものがある」 とおっしゃっていました。 なるほどこういうこともあるのかと、しみじみ感じています。

 そういえば、東京の築地本願寺にはパイプオルガンが設置されているそうで、行ったことはありませんが、ぜひ見て聴いてみたいものです。

 そして日本のオーケストラ各位には、わざわざ遠く聖フローリアンまで行かずとも、日本のお寺のお堂でブルックナーを演奏してみていただきたい。 仏教伽藍に鳴り響くブルックナー、きっとものすごい風景が顕れるに違いないと確信します。

 そう思って曼荼羅を見つめながら耳を傾けていると、たとえば第9番のブルックナー開始における低音のユニゾンも、本堂に響き渡る僧侶たちの読経に聴こえてきませんか?

 「こねーよ」 というたくさんの声が聴こえてきそうですが、ここまで読んでいただきありがとうございました。

ニュー・ホライズンズの冥王星最接近に寄せて

 3時間ほど前の日本時間午後8時49分、探査機ニュー・ホライズンズが予定どおり冥王星の最接近に成功しました。

 ニュー・ホライズンズ冥王星から1万2000キロというごく至近距離まで近づいたものの、通過時の速度は時速4万5千キロというとんでもないもので、そのスピードで直径2千キロあまりの冥王星を横切るわけですから、日常の感覚にすると新幹線の窓から通過する小田原駅のホームの様子を観察するようなものかもしれません。

 これはぼくの勝手な想像というか推測ですが、この探査プロジェクト関係者の中には、ニュー・ホライズンズ冥王星フライバイさせるのではなく、その表面にランディング (というか、激突) させたかった人が少なからずおられるのではないでしょうか。

 途中、木星に立ち寄ったりしたとはいえ、ニュー・ホライズンズはほぼ 「冥王星専用機」 なわけですし、なによりこの星を発見したクライド・トンボーの遺灰が積まれた機体なのです。 表面に衝突すれば彼の遺灰はほとんど未来永劫、冥王星に保存されることになるはずです。 文系的な発想としては、最高の物語です。

 いや、でも、それはないな、と。 もちろん膨大な予算が投入された探査計画であり、ニュー・ホライズンズにはまだ太陽系外縁部の調査という重要な任務がありますから、冥王星に着陸などというのはあり得ない話です。 それより、そもそものトンボー氏はどう思うだろうか、と考えました。 自分が発見者となった星まで到達することができ、文字どおりそこに骨をうずめたいと願うか、それとも天文学者として宇宙の果てのもっと果てまで行ってみたいと思うか。 やっぱり、後者のような気がします。

 地球を発って9年半、数十億キロの旅の果てにようやく会えた冥王星はほんの一瞬で過ぎ去りました。 二言三言、声をかける時間もあったでしょうか。 いつものように手をつないでダンスしていた冥王星カロンのほうも、突然現れて消えて行った闖入者にさぞかし驚いたことでしょう。

 ひとまずおつかれさまでした。 これから君が少しずつ送ってきてくれる、たくさんのエキサイティングな写真を、みんな楽しみに待っていますよ。

 だけどジェニー あばよジェニー

 俺は行かなくちゃいけないんだよ (沢田研二「サムライ」)

いちばん行きたいとこは冥王星のプールサイド

 グスターヴ・ホルスト組曲 「惑星」 を作曲したのは1916年のこと。

 それから14年後の1930年、カルロス・クライバー宇野功芳が生まれた年に、クライド・トンボ―が太陽系の第9惑星となる冥王星を発見。 新惑星発見の報を受けたホルストは第8曲 「冥王星」 の作曲にとりかかるも、完成させることなく病没。

 70年近く経った2000年、ケント・ナガノから委嘱を受けたコリン・マシューズが 「冥王星」 を作曲。かくして組曲は補完されたかに見えた。

 ところがご承知のとおり2006年の国際天文学連合会議において、冥王星は 「惑星」 の定義を満たしていない、との決議が採択され、冥王星準惑星 dwarf planet に再分類されてしまう。

 

 けっきょく、太陽系の惑星は海王星まで、はからずも、ホルストが最初に作曲したとおりとなった。

 冥王星を "降格" させた決定は正しかったと思う。 科学の判断に人情が入ってはいけない。

 それでもなお、多くの天文ファンにとって冥王星は太陽系最大のロマンであり続けている。 準惑星になったからといって、かの星への興味が薄れることなどなかったはずだ。

 その冥王星に今、NASAの探査機 「ニュー・ホライズンズ」 が、最接近にあと1週間というところまで迫っている!!!

 子供のころ読んでいた宇宙の本には、もちろん冥王星の写真などなく、それは無数の星々の中に矢印で示されたひとつの小さな光の点、または (想像図) としての姿しか見ることができなかった。 太陽系最深部に浮かぶ、地球の月よりも小さいその天体は、ハッブル宇宙望遠鏡の最大性能をもってしても、表面のごくごく淡い陰影をかろうじて捉えるのがせいぜいだったのだから。

 小6だった1989年にボイジャー2号海王星のそばから撮影した鮮明な画像は、本当に感動的で、ぼくはそのときの新聞記事を今でもとってあるけれども、いつか冥王星にもボイジャーのような探査機が行って、こんな写真を見せてくれるのかなあと、ずっとずっと待っていたのだ。

 その心待ちにしていた瞬間がもう間もなく訪れようとしている。

 ニュー・ホライズンズにはトンボーの遺灰の一部が載せられているらしい。 これは、科学にまぎれた人情だ。 でもこの人情は、良しとしよう。

 85年前に彼が見つけた50億キロ彼方の光、その場所までまさか行けるなんて、トンボ―自身も思ってもみなかったことだろう。

 こっちでは間に合わなかったけど、ホルストもきっとあちらで 「冥王星」 を完成させてこの日を待っていたはず。

 「海王星神秘主義者」 のあとに続く長い長い空白がようやく終わり、いよいよシークレット・トラックが鳴り始めようとしている。

 きょうは七夕。 今年だけはベガとアルタイルじゃなく冥王星に、願いをかけたい。

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宇野功芳「真夏の第九」

 宇野功芳指揮の第九が聴ける日が来るなんて…。

 宇野功芳/指揮 真夏の「第九」

   2015年7月4日(土)いずみホール

宇野功芳(指揮)

  丸山晃子(S)、八木寿子(A)、馬場清孝(T)、藤村匡人(Br)

  大阪交響楽団、神戸市混声合唱

ベートーヴェン:歌劇「フィデリオ」序曲

        交響曲 第9番 ニ短調 「合唱付き」

 シンフォニーホールで大阪フィルとやった 「すごすぎる世界」 から十年、あのときはまだまだ壮年の印象が強かった宇野さんも、すっかりおじいちゃん。

 今回、演奏については細部がどうこう言うより (下にあれこれ書きましたけど)、ぼくはただただ感慨無量、プロオケとプロ合唱の安定感のもと、青春の 「功芳の第九」 を堪能いたしました。

 フィデリオ序曲では椅子に座っていた宇野さん。 第九になると立って指揮、とくにヴァイオリンに指示を出すときなど、コンマスの鼻先に指揮棒がつきそうなくらい身を乗り出して、もう元気元気。

 ざっくり感想を述べると、新星日響との1992年盤ではキツすぎたデフォルメのいくつかがより標準に近いスタイルに修正されながらも、ここは譲れないんだ、これが俺の第九なんだというこだわりと執念の85歳による美しい情熱の結晶でありました。

以下ネタバレ

第一楽章

・冒頭、安定のpp無視

・第一主題の終わりあたりからまさかの加速

・序奏が回帰するところで再び遅いテンポに戻るも、92年盤でギアをいきなりガクンと落としていた展開部へは、予想外に速いテンポで突っ込む

・再現部は待ってましたと言わんばかりのケレン味たっぷり、大見得を切るようなティンパニのうねり

・92年盤でオクターブ上げてた416、501小節の第一ヴァイオリンは楽譜どおり

・コーダ最後の決めはおなじみのやつ、ただテンポはわりかし速い

第二楽章

・出だし、まとも

・反復はすべてカット

・トリオ最後の思い入れじゅうぶん

・かわいい終結

・全体的にまとも

第三楽章

・白眉

・運命のファンファーレ、なんかスタッカートがないところも短く切るのが若干、気になる

・終結部、弦が泣いて、泣いて、ぼくも泣いた

 三楽章終了後、合唱団入場。 ぼくはアダージョ最後の音が終わってからプレストへはすべからくアタッカで突入すべきマンなので、ちょっといただけない。 拍手もパラパラ起こってしまっていたし、やや流れが分断された感はある。 あれだけの人数 (40人くらい) ならソリストと同じく終楽章開始後、それこそ歓喜主題の合奏中に入場とかでもおもしろかったのではと思いはするものの、もちろんそんなことは宇野さんも考えているはずで、様々の形を検討した結果これがベターと判断したのだろう。

 朝比奈隆ソリストも合唱もともに第一楽章から音楽を体験するべき、と考え、最初から全員が舞台上にいた。 宇野功芳は声楽陣のコンディションを第一に考えて直前で登場させる。 どちらが正解ということはない。 どちらも正しい。

第四楽章

・低弦の叙唱はテンポどおり。 速い速い

スケルツォの否定ではテンポを落とす。 フルトヴェングラー

・予告どおりアダージョの回想は弦がやる。 とてもよかった。 他の指揮者もやったらいいと思う

・遥か空の彼方から聴こえてくるバス歓喜のppppppp。 ああこういうことだったのか…と感動

・全合奏で 「間」 をとるのは92年盤と同じ

バリトン、バルコニー席から登場。 おもしろい

・「神の前に」 ティンパニリタルダンドフェルマータはわりと短め

・行進曲のさいごでアクセル踏んでフガートに入る

・二重フーガも超スローな92年盤よりはずいぶん速い

・コーダ。 マエストーソから速くして最後のプレスティシモへテンポを合わせるところ、快速ながらアンサンブルに配慮していた新星日響のときとは違って、なりふり構わず爆音で突き進む。 決まった

 オケは第一ヴァイオリンが約10人の小編成だったが指揮者の棒によく応え、アツい演奏を聴かせてくれた。 ぼくは4列目ほぼセンター、指揮台が目の前という文句のない席だったけれど、頭上を超えて行ってしまうのかチェロや金管の音が思ったほどには飛んでこず、第一楽章再現部などはちょっとだけ物足りなかったかな。 でもそんなのは些末なこと。

 「最高の第九」 ではないかもしれないが、「最高な第九」 だった。

 終演後はロビーでサイン会 (とくに何も買わずとも参加できた) が開かれ、たくさんの人が長い列を作っていた。 アイドルの握手会のような屈強なボディガードもおらず、時間制限で引き離されることもない、ほんわかとした雰囲気の中、みんな本当にうれしそうに宇野さんとお話されていた。 ぼくも、舞い上がりながら一言だけお礼を述べさせていただいた。

 なかば強引についてきてもらった知人はクラシックにまったく明るくなく、宇野功芳もきょう初めて知った、という人だったがホールを出て 「おじいちゃんかっこよかったし、音もすごくあたたかくて、でも最後はすごく燃えて、感動した」 と語った。 うむこれに付け加えるべき言葉はなにもない!

言葉なき歌、または宮崎駿は説明しない

 ☆ アカデミー賞受賞記念 ☆

 宮崎駿といえば活劇の人で、カーチェイスや飛行シーンにおいてその非凡なセンスが発揮されるのは万人の知るところであるがそれ以上に彼は何気ない、そう本当に何気ないカットに詩情をこめるのが上手いと思う。

 『天空の城 ラピュタ』 でぼくがいちばん好きなシーンは、パズーとシータがラピュタを後にして、遠ざかっていくラピュタをただじっと見送るあの場面。 だんだん小さくなり見えなくなるラピュタと、それを見つめる二人のカットが、実に4回もの切り返しを重ねて丁寧に丁寧に描かれる。 この間、音楽が鳴っているだけで、二人は一言も発しない。 しかしこのパズーとシータのまなざしに万感の思いが込められていることは、観客の全員が承知していることだ。

 ここでもし 「さよなら…ラピュタ…」 なんてセリフを言わしてたら、もう一気に興醒めのぶちこわしで三流作品に堕ちるところですよ。 正しく沈黙は金。

 宮崎映画の登場人物は、ここぞという時には黙る。 『となりのトトロ』 のあの日本映画史に残る名カット、サツキが初めてトトロに出会うバス停のシーンでも、セリフのない時間が長く続く (ここでは音楽もない)。 ようやく口を開いたサツキは傘の使い方について二言三言話すだけ。 いやもっと他になんか言うことないんかと。

 ぼくの大好きな 『魔女の宅急便』 のラストでは、キキに魔法の力が戻ったのにジジは 「ニャー」 としか言わない。 ここは解釈の分かれるところで、キキが成長した暗示としてジジとは話せなくなったと見るか、観客にはニャーとしか聞こえないけどキキには以前のように人語が聞こえていると見るか。 ぼくはキキの反応からして前者だと思う。

 宮崎駿は、余計な説明をさせない。 なぜなら粋じゃないから。 ポルコ・ロッソがなぜ豚になってしまったかという謎は本来あのフィルムにおける最大の関心であるはずなのに、そこには一切の言及がない。 なぜ千尋がこの豚たちの中に両親がいないことが分かったのかについても、何も語られない。 粋じゃないから。 ぼくはそういった演出のあれこれに、この監督の 「そんなこといちいち俺に言わせるなよ」 という照れと 「分かるやつだけ分かればいいんだ」 という尊大ともいえる絶大な自信とを、同時に感じる。

 北野武の映画も、もともとはそういう 「無粋な説明」 を省いたクールさが売りのひとつだったのにどういうわけか、本当にどういうわけか 『HANA-BI』 から過剰に説明的なセリフが乱発されるようになり、おかげであの映画はラストシーンだけが見どころの出来の悪いメロドラマになってしまった。 世界というマーケットを見据えて分かりやすい方向へと日和った結果なのかどうかはともかく、 『ソナチネ』 までの無愛想な作風にしびれた者としてはなんとも気恥ずかしいというか、にわかに受け容れがたい転向ではあった。

 『風立ちぬ』 を観る限り、この映画作家は往時の才能にまったく衰えを見せていない。 しかし宮崎駿は、北野武のような変節に至る前に自ら長編から身を引いた。 それはとても賢明な判断であったろう。

【京都ちょっといい店 ②】 すしてつ先斗町店

 京都ちょっといい店シリーズ第2弾は、またしても寿司。

 お寿司好きなんです。

 しかも京都だっつってんのに江戸前とかもうね。

 「すしてつ 先斗町店」 (特に公式サイトはないようです)

 三条大橋のたもとから先斗町へちょっと入ったところにあるこの 「すしてつ」 という店、検索すると大阪のほうにも支店? があって、どこが本店なのか判然としない。

 ここは、回らないお寿司である。 が、恐れることはない。 一貫が100円という比較的良心的な価格だ (ただし一回の注文で二貫が提供される) 。

 板前さんは皆、髪を刈り込んだいかにも職人然とした方ばかりで、カウンター席に座ると差し向かいで注文しなければならないため、コミュ障のぼくなど最初はびびったが、カウンター内には常に複数の板前さんがおり、常にそれぞれの席に気を配ってくれているから、すぐに慣れる。

 お寿司は皿ではなく、ちゃんと笹の葉の上に並べて置かれる。 これが回転寿司に慣れているぼくにはとっても新鮮で、食欲がそそられる。

 少し値の張るおすすめメニューもあり、ぼくが今回、ちょっと覚悟を決めて注文した生ウニは二貫で650円くらいだった。 とことん舌の上で反芻して3分くらい余韻を味わった (650円でこのありさまである) 。

 店内からは鴨川が一望でき、なかなか情緒のあるロケーションになっている。

 お寿司も小ぶりでかわいらしく、女性にすごく喜ばれるんじゃないかと思うイチオシの寿司屋ですよ (個人差があります) 。

人類がいなくなったヴィヴァルディの 「春」

 中学一年のとき、音楽の授業でヴィヴァルディの四季から 「春」 の第一楽章を聴かされ、その感想を書きなさいと言われた。

 ぼくがクラシック音楽に開眼するのは中学二年まで待たなければならず、そのときはまだ音楽鑑賞を積極的な趣味にすらしていない段階だったので、感想を書きなさいと言われても何をどう書けばいいかさっぱり分からなかった。 ただなんとなく心地よい曲だとは思ったので 「春らしいさわやかな曲だと思いました」 とかなんとか一行だけ書いて提出したような記憶がある。

 さて大人になってみて今、果たしてぼくはこの曲について 「春らしいさわやかな曲だと思いました」 以外に語る言葉を持たないのである。 なんという体たらくか。

 ヴィヴァルディがいたくお気に入りの上司が、年始の職場で一日じゅう 「春」 を延々繰り返し流していたことがあって、そのとき何十回、何百回と聴きながら考えてみてもやはり同じだった。

 この曲には、感情を投影する余地がない。 感傷の入り込む隙がない。 モーツァルトベートーヴェンを聴くときとは違う。 ブルックナーを聴くときとも違う。 モーツァルトベートーヴェンの紡ぎ出す激情にぼくたちはすんなり自分の気持ちを投影できるし、ブルックナーには神の御業を仰ぎ見る人間の一人称視点が存在する。 が、ヴィヴァルディのこれには一人称も三人称もなく、視点の置きどころが分からないのだ。 ただ人間不在の風景だけが通り過ぎていく。 その景色の、なんと美しいことか。

 あまりにも有名な第一楽章の、あの華やかな響とは裏腹に、そこには藤子・F・不二雄先生が S F 短編でよく描いていたような、人類がいなくなったあとの荒廃した未来世界の春が垣間見えて、ぼくはちょっと空恐ろしくなったりするのだ。

 あれ、なんだ。 ちゃんと感想書けたじゃん俺 ( たぶん教師の評価はよくないが ) 。

もう半分はグルダのせい

 

 

 カルロス・クライバーと並ぶぼくのヒーロー、フリードリヒ・グルダ。

 

 

 ぼくが三十五歳にもなってピアノを習いに行くなどという酔狂を始めた理由の半分はモーツァルトにあり、あとの半分はグルダにある。

 

 

 でもグルダの音楽にちゃんと出会ったのは、没後ずいぶん経ってからだった。 どうして存命中、この人の音楽にちゃんと接する機会がなかったのかと思う。

 

 

 宇野さんはグルダをあまり高く買っていない様子で、著作では推薦盤に挙げるどころか名前すら出てこない。 ほぼ完全スルー。 まずそれが大きかった。 手元にある1994年刊行の音友ムック 「クラシック現代の巨匠たち」 の中でも、ポリーニや弟子のアルゲリッチが4ページを割かれているのに対し、師であるグルダは1ページだけの扱い (ミケランジェリでも1ページですが)。 またグルダの来歴においてジャズへの傾倒は大きなウエイトを占めているため、当時のぼくにはクラシックとジャズの二足のわらじを履いた、なんとなく二流ぽい人という印象しかなかったのだ。 もったいない。 ああもったいない。

 

 

 ただそのころはモーツァルトもまだよく分からなかったし、さらにはピアニストという人種にもあまり関心がなかった。 もしグルダの弾くモーツァルトを聴く機会に恵まれていても、たちまち惹きこまれていたかどうか、自信はない。 出会うべくして、おっさんになってからぼくはグルダと出会ったのだ。

 

 

 春の日だった。 YouTubeでモーツァルトのピアノ曲の演奏動画を色々と聴きあさっているうち、なんとなくクリックしたその動画では、トルネコみたいな太ったおっさん、それもどう見ても普段着のおっさんがオーケストラを前にしてピアノに向かい、椅子から乗り出したり立ち上がったり、まるで宴会の余興のごとき気楽さで、ピアノ協奏曲第26番 「戴冠式」 を指揮し始めた。

 

 

 

 

 衝撃だった。 なんというフリーダムなおっさんだ。 トルネコがふしぎなおどりをおどっている。 さらに衝撃だったのは、その演奏がどう聴いても素晴らしいんである。 2分半過ぎ、独奏ピアノが始まってからの音のきらめきといったらもう、モーツァルトの虹色の音楽がグルダのピアノによってさらに光を帯びたようで、極上にハッピーな気持ちになってくる。

 

 

 なんたってグルダは、演奏してる姿がかっこいい。 どのピアニストよりもかっこいい。 軽妙洒脱というか、たまらなく粋だ。 おまけに弾きながら鼻歌を歌うので、たいていの音源にはピアノと一緒にその鼻歌も記録されているのはお決まり。

 

 

 グルダはよく演奏中、客席のほうを見て嬉しそうに笑いかける。 それは 「どうだ俺の演奏、いいだろう」 という自己顕示ではなく、 「どうだ音楽って、本当に素晴らしいだろう」 と語りかけているようにぼくには見える。

 

 

 「クラシックとジャズ、ふたつの世界に生きた人」 といつも決まって紹介されるグルダ。 ぼくが思うに、グルダにとってはクラシックとかジャズとか、そういう区分も実はどうだってよかったんじゃないか。 ただ 「音楽」 だったんだよきっと。

 

 

 グルダの演奏哲学はシンプルだ。 快楽主義的で、かっこよく、気持ちいい。 愛車は真っ赤なフェラーリで、女性が大好きで、腕時計は金ピカ。 いっけん軽いノリのオヤジに見えて、心にでっかい愛の海がある。 カッコイイとは、こういうことさ。

 

 

 そんなグルダになりたくて、そんなグルダになれなくて。 ぼくはきょうもピアノを練習する。 グルダみたいに弾くことは逆立ちしても一生かかってもできない。 ただグルダがピアノを弾く姿を見ていると、俺はなぜ音楽を聴くのかという根源的な自問に対するものすごーく大切でものすごーく単純な答えが、いつも必ずはっきり見えるのだ。