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ブリュッヘンを思い出す

クラシック音楽

 たしか、あの日ぼくは風邪で体調を崩してひいひい言ってた。 熱もあった。 さいわい咳は出てなかったので、行こうと思った。

 早くからチケットを買って、休暇にするつもりでいたのに、よりによってその日に会社が昇進試験の一次日程をねじこんできたもんだから、フラフラクラクラする頭でぼくは、14時からの筆記試験が何時に終わって何時の新幹線に乗れば19時までに東京の赤坂に着けるのか、そればかり気にしていた。

 2007年の2月7日。 さんざんな試験を終えて新幹線に飛び乗り (なぜか途中、巣鴨へ寄って豆大福を食べた記憶がある) なんとか辿り着いたサントリーホールのRC席で、ぼくはフランス・ブリュッヘンが指揮する新日本フィルを聴いた。 曲目はモーツァルトフィガロ序曲、交響曲39番、40番。

 ステージに現れたブリュッヘンは、びっくりするほど、おじいちゃんになっていた。 足どりもよぼよぼで、指揮台までの歩みも危なっかしく感じるほどに。 椅子に座っての指揮。 ブリュッヘンの腕が上がる。 ぼくはドキドキしながら最初の音を待つ―――

 ここで話は1993年にさかのぼる。 その日のNHK教育 (当時) 「芸術劇場」 のプログラムは、噂に名高いフランス・ブリュッヘン指揮18世紀オーケストラ来日公演。 曲目はモーツァルト 「フルートと管弦楽のためのアンダンテ」 、そしてベートーヴェンの 「英雄」 。 すでに宇野さんの本やら何やらでこのコンビの評判を読んでいたぼくは、ドキドキしながら録画ボタンに手をかけて待っていた。

 テレビのスピーカーから流れてきたのは、初めて聴く音だった。 いつも聴いているオーケストラのサウンドとはまったく違う、油絵の具で書きなぐったような、強烈な色彩。 ぼくは圧倒された。

 それでいて、高校1年のガキんちょの耳にもその演奏は、とても洗練されていた。 激しい表現欲求が音と音の間から溢れんばかりであるのに、ちっともうるさくなく、品がある。 一音一音がえらく味わいぶかい。 まるで上質な伊賀焼のたたずまいのような、二晩寝かせたカレーの味わいのような。 440ヘルツより低く設定されたほの暗い音程、ヴィブラートなしで引き延ばされる弦楽器、土くさい金管、小さいマレットで鋭く打ちこまれるティンパニ、なにもかもが新鮮な響きだった。

 きれいじゃないけど、美しい音。

 その中心にあって指揮台も置かずオーケストラと同じ高さに立ち、イカれた科学者のような目つきで一心不乱に音楽を導く指揮者ブリュッヘン。 いやあかっこよかったよ。 この録画は何回見返したかわからない。

 カラヤン亡き後の1990年代において、ブリュッヘンと18世紀オケによる録音は最高にセンセーショナルで、間違いなく全世界のクラシック音楽ファンを活気づけるエナジーを放っていた。

 ふたたび2007年のサントリーに戻る。 鳴り始めた 「フィガロ」 序曲は、モダン楽器なので18世紀オーケストラほどのコクはないものの、まぎれもなくブリュッヘンの音だった。 もはや以前のような狂気と正気の拮抗したテンションの高さはなく、そのかわりに音楽は静けさをたたえていた。 とても静かで、とても美しいモーツァルト。 アンコールには第40番の1楽章がもう一度演奏された。

 ぼくは実のところ40番の交響曲は、33番やリンツプラハに比べると全然聴かない。 でも時折思い出したように聴きたくなる日があって、きのうもふとそんな気持ちになってこの曲をかけていたら、ブリュッヘンの訃報を知った。

 だからぼくはこの曲でブリュッヘンにさよならを言おうと思う。

 もうモーツァルトベートーヴェンと会ったころだろうか。 会いたかった人たちいっぱいいるだろうから、 「これで本物の18世紀オーケストラができるぞ」 とか言って興奮してんじゃないだろうか。 やかましいわ。

 ぼくはこの21世紀でもう少しだけ、あなたが遺したモーツァルトを聴き続けます。